駒大苫小牧・田中を三振にしとめ優勝を決めた早実・斎藤は雄たけびをあげガッツポーズ(2006年8月21日撮影)
駒大苫小牧・田中を三振にしとめ優勝を決めた早実・斎藤は雄たけびをあげガッツポーズ(2006年8月21日撮影)

上司の言葉に時の流れを感じた。「古川はキャップ(現場リーダー)だから、アルプス取材には行かず、全体に指示を出すように」。甲子園大会の取材は13年ぶり。前回は20代で、記者1年目だった。右も左も分からないまま担当した学校が、あれよ、あれよと勝ち進み、エースはアイドルとなった。そう、06年夏、早実の斎藤佑樹投手だ。今回もアルプス席で取材するぞ、と乗り込んだら、若手記者が受け持つらしい。

干支(えと)1周分、離れたのだから無理もない。この間、高校野球を巡る環境は随分、変わったように思う。球数制限が議論され、前段階である小・中学生の競技人口は減少の一途。去年までプロ野球を担当をしていた時には見えなかった危機感が、アマチュア野球の現場には充満していた。ある公立校指導者らの話が耳に残る。「球数制限したら絶対、待ち球作戦が増える」。「本当にやるなら練習試合も対象にしないと」。「小中でこそ議論が必要」等々。一夏で948球も投げたエースは、もはや歴史上の出来事か。

そんなことを考えながら見た第3試合。星稜・奥川の1球1球に球場がどよめいた。拍手。驚嘆。ため息。そう、この感じ。大観衆の視線を集める右腕には、「甲子園ヒーロー」という普遍性が漂っていた。

「甲子園」で思い出される人がいる。星野仙一さん。楽天監督の4年間を担当したが、遠征で甲子園に来るたびに「ええ球場だろう」と、まるで、自分の宝物を自慢するように言っていた。阪神を率いていたからではない。あと1歩で届かなかった一球児の憧憬(しょうけい)の念が、40年以上たっても口をついて出たのだと思っている。だから、この日、行進した出場32校573人に向かって、天国から言ったはずだ。

「お前ら、ええなー」

時が流れ、変わるもの。流れても、変わらないもの。平成最後の甲子園が始まった。【古川真弥】

星稜対履正社 3安打完封勝利の星稜・奥川はガッツポーズする(撮影・柴田隆二)
星稜対履正社 3安打完封勝利の星稜・奥川はガッツポーズする(撮影・柴田隆二)