野球の神様が、最後に与えてくれたご褒美の舞台だったかもしれない。

短い夏だった。「全力で投げられました」。大阪大会開幕戦を戦った阿倍野の三ツ矢滉祐投手(3年)の投手歴は2年目にも満たない。最後の夏は背番号1を付けたが、1回途中打者9人を相手に31球で終わった。

新チームが始まった高1の秋、一塁手から投手への転向が決まった。理由は「左投げだから」。投手の育成がチームに必須だった。1つ上の学年にも投手がいなかったため、田中博翔監督(30)が大半の部員に投球練習をさせた。1番筋が良かったのが三ツ矢だった。「勝ちたいなら三ツ矢しかいなかった」。

最初は「嫌だった」。でも、頼まれたら断れないタイプ。後ろ向きな気持ちだがあったことは周囲も分かっていた。田中監督は「自分たちの代で勝ちたいならお前が投手をやらないといけないんじゃないかと話しました。コツコツやるタイプ。なんとか花開いてほしいと思っていました」と成長を願った。

まずはストライクを入れる練習からはじめた。1日最低でも70球以上を投げ込んだ。同じサイドスローの日本ハム宮西尚生投手を手本に、投球動画で研究。スライダー、カーブ、ツーシームと変化球も習得した。投手を始めたばかりの時は球速も100キロ出るかでないか。それでも、10キロアップさせ、直球は100キロ代前半に乗せた。

高校最後の舞台は、京セラドームのマウンドになった。「うれしかった。でも(終わるのが)早いなぁと」と苦笑い。初回、いきなり2連打を浴び失点。なお三塁から犠飛で2点目を奪われた。その後課題の制球が乱れ、2連続四球で満塁としたが、後続を2者連続で右飛に打ち取った。だが2回裏、先頭に四球を出したところで無念の降板。

初戦で散った。最後までやりきったから、後悔はない。「最初から新しいことに挑んで、途中で諦めない気持ちがつきました」。壁を乗り越えた先に、成長した自分がいた。【望月千草】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

1回花園に2失点渋い表情を見せる阿倍野先発の三ツ谷(2019年7月6日撮影)
1回花園に2失点渋い表情を見せる阿倍野先発の三ツ谷(2019年7月6日撮影)