試合後、ベンチ前に整列する磐城ナイン(撮影・横山健太)
試合後、ベンチ前に整列する磐城ナイン(撮影・横山健太)

<甲子園高校野球交流試合:国士舘4-3磐城>◇16日◇甲子園

センバツ21世紀枠の磐城(福島)が、昨秋の東京王者・国士舘と堂々と渡り合った。

県内屈指の進学校で文武両道を貫いてきた選手たちは、夢の舞台で全力プレーを披露した。

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テレワーク明けの初夏、3カ月ぶりに出社すると手紙が届いていた。消印はいわき市。背番号11、佐藤綾哉投手(2年)の祖母久美子さんからだった。センバツを決めた1月、同じ浪江町出身と知って話した選手だ。小1で原発から避難し「浪江の生活はあまり覚えてません」と言っていた。

面識はないはず、のご家族。だが差出人はまさかの知った人だった。実家の斜め前の、電器屋のおばちゃん。佐藤はお向かいのお孫さんだった。手紙には磐高野球部が1面を飾り、喜んでコンビニを何軒も回ったことや、大会中止の無念さが記されていた。3年生に吹奏楽部のいとこがいて「もし綾ちゃんが甲子園に行ったら、私が吹奏楽で応援してあげるね」と、幼少期から約束していたという。

国士舘戦をテレビ観戦して、少し寂しく感じた。吹奏楽部は上手なのだ。出場20回、金賞6回の全国大会常連。中継には佐藤が継投に備え、肩をつくる様子が映った。演奏したかっただろう。聞きたかった。吹奏楽部だけじゃない。応援団も在校生もOBも「そこ」にいたかったはずだ。

7回裏国士舘1死二塁、樋口からの好返球で門田(右)をタッチアウトにする岩間(撮影・横山健太)
7回裏国士舘1死二塁、樋口からの好返球で門田(右)をタッチアウトにする岩間(撮影・横山健太)

岩間主将が甲子園への思いを強くしたのは、避難時に見た11年センバツだという。地元を追われて怖かったと思う。それは大人も同じで、津波や原発のことは考えたくなかった。当時アマ野球担当だった私は、逃げるようにセンバツ取材に乗り込み、優勝原稿を書く機会に恵まれた。あの時、東海大相模の主将が言った言葉が忘れられない。「東北の球児にも、この金メダルをかけてあげたい」。

東京の強豪私学と東北の県立進学校。対照的なのに、21世紀枠を忘れるほど強く、すがすがしかった。小2の岩間があの春甲子園に憧れたように、この日の磐城に心つかまれる子どもたちがいるだろう。いつの日かセンバツ1勝をつかむ時には、今度こそ甲子園のスタンドで、みんなと喜びたい。いい試合を見た。私の中では、金メダルです。【OG・鎌田良美】

9回表磐城2死、樋口が左前打を放ち盛り上がる磐城ベンチ(撮影・横山健太)
9回表磐城2死、樋口が左前打を放ち盛り上がる磐城ベンチ(撮影・横山健太)