今年も、いよいよプロ野球ドラフト会議(26日)が迫る。神宮球場のバックネット裏、東京6大学野球を視察するスカウトの方たちとの会話も「どの球団が誰に行くのか?」といった予想話が多くなる。ただ、この道40年以上の大ベテラン、広島苑田聡彦スカウト統括部長(75)には「どんなに熱心でも、その選手が取れるとは限らないですよ」と言われた。

抽選で外れることもあるから、ではない。苑田さんの悔しい思い出は、21年前にさかのぼる…。

東京の、ある高校生を追っていた。手応えは得ていた。ドラフト前日、学校関係者に確認すると、調査書を求めてきたのは広島だけと分かった。球団の了承は得ている。他球団が来ないなら、後は当日、下位の方で指名するだけだ。ところが、広島が指名するより先、近鉄に5位で奪われた。堀越の岩隈久志だった。

直後は悔しさが込み上げたそうだ。だが「まあ、仕方がないですよ」。近鉄が、どういう経緯で岩隈の指名に至ったかは想像するしかないが、当時は調査書なしでも指名するケースが、割とあったという。

下位で指名された無名の高校生が、そこから日本を代表する投手となり、メジャーでノーヒットノーランを達成、日米通算170勝を挙げた。そんなスペシャルな素材を、おそらく世界で最初に見いだしたプロのスカウトが、苑田さんだ。

きっかけは、まさに“足”で得た。岩隈が1年生の秋、堀越の練習を見に行った。理由は「毎年、いい選手を出している学校だから」。岩隈のことを知っていたわけではない。今のように、ネットでも全国各地の素材が見つかる時代でもなかった。

ブルペンで投げる細身の右腕に目がとまった。「スピードガンは持っていってなかったけど、せいぜい130キロ台中盤ぐらい。でも、球持ちが良くて、腕の振りが、とてもしなやかだった。ひょろひょろしてたけどね」。それが、岩隈だった。直接言葉を交わしたわけではないが「走るのは好きじゃありません」と言っていたのを、昨日のことのように覚えている。

21年間の現役生活を終えた。「よくやったなあ。ここまでやるとは思いませんでした」。“発見”から23年。大投手の歩んだ道のりを優しくねぎらう苑田さんの目の前で、ドラフト指名を待つ若者たちが投げ合っていた。【古川真弥】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)