監督として取手二、常総学院(ともに茨城)で3度の甲子園優勝を成し遂げ、11月24日に肺がんのため89歳で亡くなった木内幸男さんの通夜が2日、取手市内で執り行われた。常総学院・島田直也監督、日本ハム金子誠野手総合コーチ、DeNA仁志敏久2軍監督ら、プロに進んだ教え子が多数参列。野球場を模した祭壇に、高校野球の「栄冠は君に輝く」が会場に流れる中、故人をしのんだ。

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祭壇でほほ笑む木内さんを見て、03年夏、常総学院として初優勝を果たした時の笑顔を思い出した。木内さんはこの夏を最後に、1度、監督を退いた。

「甲子園は大変いい教育の場」が口癖だった。この年の甲子園で木内さんにベンチ入り18人を評価してもらった。「優しい子」「一番努力した子」「真面目すぎる」。勝負に徹底して厳しかった木内さんが、驚いたことに全員の性格、取り組み方などをスラスラ話してくれた。

「特別な選手はいない。だから上を上げるのではなく、下を上げ、選手を競わせレベルアップする」。奇抜に見える選手起用も、選手1人1人の個性を把握していたからこそ。それは、人生勉強そのものでなかったか。努力なくして成長はない。甲子園を目指し、日々厳しく指導することで、選手は心身ともに大きく成長した。

優勝後の宿舎では選手たちにこんな言葉をかけた。「3年間、怒ってばっかでごめんなぁ。厳しい言葉は、お前らに賭けてみようという意識から出た言葉なんだよ」と笑った。厳しい指導も、気が付けば木内監督の温かい懐に抱かれていたことに気づくのだ。

記者として駆け出しのころ、甲子園で「あなたも甲子園で成長しないとね」とニッコリ笑った。あれから26年。木内さん、私はまだ元気に記者を続けていますよ。祭壇の笑顔に、語りかけてみた。【保坂淑子】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

木内さんの思い出の品々(撮影・中島郁夫)
木内さんの思い出の品々(撮影・中島郁夫)