「こら、おまえら、何やとっるんじゃ! 晋太郎が踏ん張っとるのに何とかしたらんかーっ!」

闘将・星野仙一がベンチにいたらそう叫んでイスの1つも蹴飛ばし、扇風機にパンチしていただろう。少なくとも7回表まではそんな展開だった。

勝てなかったがこの日の藤浪晋太郎、何より良かったのは楽しそうに投げていた点ではないか。自分が何者なのかを思い出し、マウンドで躍動した。周囲の誰もがそうやって投げればいいんだと思っている姿を、ついに表現したと思う。

何なら、きょう31日にも投げたいぐらいだろう。あれは2年前だったか。試合前の練習中、甲子園のベンチを通りかかった藤浪にこんなことを話し掛けた。

「しっくりこないんなら納得いくまで毎日でも投げさせてもろたらええのでは?」。もちろんジョークだが藤浪はこう答えた。

「そうですね。高校生のときは真夏に毎日、投げてましたもんね。今では考えられないけど、まあ、投げられますよね」

これもこちらに合わせてくれたジョークだったが、実際に投げろと言えば藤浪はきょうも投げられるだろう。だが、間違いなく、打たれる。前日に110球以上も投げた投手が通用する世界ではない。アマチュアとは違う。

星野ならそう言うだろうと書いたが、それは実は「藤浪のために」という意味ではない。チームメートはもちろんだがプロなら自分のため、そしてファンのために何とかしろ、ということだ。

勝利に飢えている藤浪を自分のバットで、守備で、助ければ、それは藤浪以上にファンを喜ばせることになる。それをやってのけるのがプロではないのか。

7回、失策で藤浪の足を引っ張った北條史也は情けないだろう。逆襲機の8回、併殺に倒れた陽川尚将は悔しいだろう。無安打の大山悠輔もそうだ。

しかし、そんな思いは世の中の人々はみんな共有している。それでなくとも苦しい日々なのに未曽有のコロナ禍で先行きはまったく不透明だ。それでも家族のため、生活のため、歯を食いしばり、明日に向かって戦っているのだ。

来週、藤浪は甲子園での巨人戦で投げるだろう。打線はこの日の分も援護しろ。藤浪も巨人打線を抑え込め。そしてファンを心底、スカッとさせろ。アマチュアではないのだ。(敬称略)