キューバは米国と長く国交を断絶し、社会主義国として独自の道を歩んできた。訪問前は敷居が高いイメージを抱いていたが、実際に首都ハバナに足を運んでみると、新鮮な体験が待っていた。陽気で明るい野球の国の「おもてなし」に触れてみた。

(2016年4月7日付紙面から)

ハバナの書店で平積みにされていたスポーツ本6種類のうち4つが野球本
ハバナの書店で平積みにされていたスポーツ本6種類のうち4つが野球本

 キューバには、報道ビザを取得して訪れた。社会主義国なので、ビザを取るのは非常に難しいと聞かされていたが、拍子抜けするほどスムーズだった。観光旅行用のツーリストカードが即日発行してもらえるのに比べ、ビザは申請から取得まで約20日間と日数を要したものの、申請書類を提出して面接も1度だけと、手続きは簡単だった。面接は東京のキューバ大使館で3等書記官から受けたのだが、いきなり野球の話題で盛り上がった。やはり野球の国である。

 ハバナ国際空港に到着すると、真っ先にやるのはプレスセンターに行って登録をし、IDカードをもらうことだった。この部分では社会主義国らしく、海外からの来訪者、特に取材者などは国に管理される。米国との国交正常化に動き始めたこともあり、現在は世界中から報道関係者が殺到しているそうで、街を歩いていると他国の記者らしい人を見かけた。観光客も増加しており、米国からの旅行客はまだ制限されているが、カナダや欧州からの訪問客には数多く会った。

 街中には、野球にかかわるものがたくさんある。まず観光客向けの土産物からして、バットとボールがある。ハバナの繁華街「オビスポ通り」には多くの土産店があり、そこには必ずカラフルな色で塗られたバットとボールがあった。街には書店も多く、野球の書籍も豊富。「キューバ野球事典」という本には、キューバ代表チームの国際大会の記録が詳細に記され、日本代表と対戦した試合の記録も細かく載っていた。例えば80年の世界選手権では日本と対戦しているが、試合の詳細を見ると石毛宏典氏(当時プリンスホテル)や前巨人監督の原辰徳氏(当時東海大)の名前が出てくる。

 テレビではスポーツ中継が数多く放送されており、野球中継はベネズエラのウインターリーグまで視聴することができた。米国とは61年から国交を断絶してきたが、意外にも米スポーツ専門局ESPNのチャンネルもあり、野球に限らず情報は得られる。そのせいか、ヤンキースやカブスなど大リーグ球団の帽子をかぶる人も見かけた。

ハバナの繁華街オビスポ通りの店にあるカラフルなバットとボールのお土産品
ハバナの繁華街オビスポ通りの店にあるカラフルなバットとボールのお土産品

 旧市街では、ホセという30代の男性と知り合った。彼は「僕は、小学生に野球を教えているんだよ」と、誇らしげに語った。キューバで野球選手は憧れであり、代表レベルで活躍する選手は英雄だが、野球にかかわる指導者もまた自負心を持っている。日本から来たと言うと、フレンドリーな態度で接してくる。日本も野球が盛んな国だということを国民は知っており、野球を通してお互いに何か通じるものがあると感じているようだった。(おわり)【水次祥子】