浅見修兵投手(24)は、イップス先生を訪ねた。埼玉・本庄東高校2年の春、投げ方が分からなくなってしまった。

 父の勧めで、イップス先生こと、河野昭典氏(59)が所長を務めるイップス研究所を訪れた。

 浅見投手は今、BCリーグ信濃グランセローズに所属するサブマリン投手として、日本プロ野球組織(NPB)の12球団入りを狙っている。

 今やイップスの面影もない彼に、当時を振り返ってもらった。


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 浅見投手 最初はカウンセリングでした。話題は、その時の状況とか…野球だけではなく日常生活なども話しました。「学校どう?」とか、そういう話です。その後にリラックスさせてもらいます。河野先生の話を聞きながらです。


 イスに座り、目をつぶってリラックスする。河野氏が話し掛けてくる。


 浅見投手 「いつも通りに呼吸して」「やや大きく呼吸して」「大きく呼吸して」「いつも通りに呼吸して」とか言われ、その通りにやります。あとは「20段の階段をゆっくり下りるイメージをして。慌てないで、落ち着いてゆっくり降りて」と言われて、そんな自分をイメージしました。体から力が抜けていく感じがしました。


 技術的なトレーニングは、この後から始まる。


 グラブとボールを手に外へ出ていった。河野氏とキャッチボールを行った。

「投げる」という動作を細かく分解し、いくつかのトレーニングをすると…


 浅見投手 最初は普通に投げていましたが、先生から「横から投げて」「下から投げて」と言われました。その後で「横投げの方が合っているんじゃないか」と言われました。驚きましたよ。「はい」とは言えませんでした。やっぱり上投げのプライドがありますから。


 1カ月ほど悩んだという。


 浅見投手 その場では「はい」と言えずに帰りました。1カ月ぐらい悩んだと思います。学校の練習に戻って、同級生や先輩、コーチにも聞いたんです。横から投げてみて「どっちがいいと思う?」と。みんな「横の方がいいと思うよ」と言ってくれました。自分自身も上よりいい球がいくと思って決断しました。


BCリーグ信濃で活躍する浅見投手
BCリーグ信濃で活躍する浅見投手

 気分を一新して臨むと、結果が出るようになった。サイドに変えて数カ月後の2年の秋には背番号1をもらった。最後の夏も背番号1をつけてマウンドに立った。後輩の指導係から、立場は大きく変わった。


 浅見投手 心が入れ替わりました。ストライクが入るようになり「もしかしたら、よくなるかもしれない」と思って、気持ちが前向きになりました。腕を出す位置を変えただけで、こんなに大きく変わるものだなと思いました。


 東京国際大でも投手を続けた。卒業後に1度は就職したが、退職して野球にかけることにした。NPB球団入りを目標としている。


 浅見投手 野球を続けられているのは、河野先生のおかげです。両親やお世話になった方々に恩返しするためにも、夢をかなえたいと思っています。


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 河野氏の指導で特徴的なのは、キャッチボールを始める前段階である。浅見投手の言葉によれば「カウンセリング」と「リラックスさせてもらう」とある。

 カウンセリングによる現状把握は分かるが、その後の会話が気になる。


 河野氏 ひと言で説明すると「無意識のメンタルトレーニング」です。脳には意識と無意識があることは説明しましたよね。


スローイングの動きを解説する河野氏
スローイングの動きを解説する河野氏

 それは前回までに勉強してきた。「こう投げよう」と意識しても、無意識に別の動きをしてしまう。意識と無意識に生じる差が、イップスと呼ばれる動きを生み出してしまう。


 河野氏 イップスの症状が起きている選手は、無意識の部分が「いっぱい、いっぱい」の状態です。このまま技術的な指導や反復練習で動きを意識させても、決して改善はしません。脳は意識が1割、無意識が9割と言われています。9割を占める「無意識」をトレーニングすることで、自然な動きを早く取り戻せます。


 言葉では理解できる。だが、どうしても具体的にイメージできない。


 河野氏 イップスの多くは「こうでなければならない」という固定観念が引き起こします。指導者の強制や、自身の高い理想から「こういうフォームで投げなくてはいけない」「このコースに決めなければ」と思ってしまう。どんどんきゅうくつになりますよね。その固定観念を解きほぐす。まず脳にリラックスしてもらう。脳の中をマッサージするといったら分かりやすいですかね。


 脳のリラックス… 分かるようで分からない。何度か河野氏を取材させてもらう中で、どうしても理解できない点として残ってしまった。

 すると河野氏は「実際にやってみますか」と勧めてくれた。私自身が、無意識のメンタルトレーニングを実践することになった。(つづく)【飯島智則】