荻野佑眞さん(22)は、晴れやかな表情で練習を終えた。イップス研究所の所長を務める河野昭典氏(59)の指導を受け、社会人野球で投手に再挑戦する自信を深めていた。


 荻野さん やるからにはプロを目指したいと思っています。左だし、やはり投手の方が可能性はあると思います。


荻野さん(右)のフォームを指導する河野氏
荻野さん(右)のフォームを指導する河野氏

 初めて研究所を訪れた頃を思い返してもらった。


 荻野さん 当時、河野先生に「言いたくても言えないことがたまっているんじゃない」と言われました。そういえば父が野球に厳しかったこともあって、怒られないようにしようという思いが強かった。性格的にも「友達に嫌われたくない」と思うタイプでした。大学に入って先輩に気を使って…心の中にたまっていたものが増えてしまったと思います。先生に「ごみ箱が一杯になったら捨てればいいんだよ」と言ってもらい、楽になった覚えがあります。


 悩みが深いからこそ、河野氏の言葉がしみ入ったのだろう。

 荻野さんは、日体大の卒業論文でイップスをテーマにしたという。


 荻野さん 教職を取ったので、母校(日大三)で教育実習をしました。その時もイップスに悩んでいる選手に声をかけました。理解できる人が近くにいるって、すごい大事なことだと思っています。


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 さて、ここまでイップス克服、もしくは改善について具体例を見てきた。

 ただ、すべての選手が、河野氏のような専門家に指導してもらえる環境にはない。

 イップスを克服する、または未然に防ぐ方法はないものだろうか。


 河野氏 指導者の理解が大きいでしょうね。ここ(研究所)で選手がイップスを克服しても、チームの指導者に理解がなかったら同じことなんですよ。投げられるようになっても、うるさい監督の下へ戻ったら、また投げられなくなってしまいます。日本の指導者は「こうしろ」「ああしろ」という強制が多いと思います。強制されると、選手は「~しなければならない」と固定観念を持ってしまう。この固定観念がイップスを生み出してしまいます。


 指導者がイップスを生み出してしまう場合もあるということか。


 河野氏 もちろん怒る、叱るも大切です。ただ子供たちは感性も鋭く、感じやすい。指導者が本当に自分の成長のために叱ってくれているのか。それとも思い通りにならないから怒っているのか。判断はできていると思います。特に小学生、中学生は指導者や親御さんの言葉、態度が大きいと思います。できていたことができなくなる。選手をそんな状態にしてはいけないんです。


 終始して穏やかな口調で語っていたイップス先生だが、この時ばかりは語気が強くなった。


 河野氏 それぞれの選手で体やメンタルが違います。それなのに指導者が「こうでなければならない」という、画一的な指導をする。だから、選手たちは固定観念に追い込まれてしまう。無意識の領域が狂ってしまうんです。


 理解、納得できないままに練習を続ける危険性を強調する。


 河野氏 人間は約120日間で習慣化すると言われます。合わない練習を4カ月続けてしまうと、違う動きになってしまうんです。ルーティンは落とし穴があるんです。自分に適した動作の繰り返しなら能力を発揮します。しかし、合わない動作を続けていたら…そこからおかしくなってしまいます。ケガも多くなります。人間は体も考え方も個々で違う。指導者の考えや好みに合わせてはいけないんです。


元ソフトバンク投手の星野大地氏(右)からリリースの指導を受ける荻野さん
元ソフトバンク投手の星野大地氏(右)からリリースの指導を受ける荻野さん

 例として、連載の第7回に登場した浅見修兵投手(24)を挙げたい。イップスに悩んで研究所を訪れた浅見投手に対し、河野氏はサイドスローへの転向を勧めた。1カ月ほど悩み、投げ方を変えた。今はアンダースローになっている。


 河野氏 彼は、横投げに適した体の使い方をしていたから勧めました。決して付け焼き刃の気分転換などではありません。さらに私は、決して強制しません。浅見君の場合はサイドの方がいいと確信していましたが、あくまで決断するのは彼自身です。納得できないままに変えても、いい結果は出ません。強制してもイップスが悪化するだけですよ。


 通常の練習を指導する上では、どのような工夫が必要か。


 河野氏 指導はいいと思います。要するに、きちんと説明してあげればいいんです。「こうやれ!」と怒鳴るんじゃなく、例えば「今のフォームだと肘を痛めてしまうよ。こういう練習をやっていこう」と説明して理解させる。私は小学生だろうと選手に意見を聞きます。「君はどう思う?」と。子供なりに意見を持っています。それを無視して強制するから、無意識の領域がおかしくなる…つまり脳内に神経のブロックが起こり、イップスの症状が出てしまうのです。


 ただ、現実的に少年野球では、父親がコーチを務めるチームも多い。専門家の指導ばかりを受けられる環境は整わない。限られた知識の中、選手の成長を願って指導している。イップスを恐れるあまり、まったく指導できなくなってしまう。


 河野氏 だから私は、指導者を指導する目的で日本イップス協会をつくりました。


 2月18日に横浜市内で日本イップス協会の講習会が開かれた。ここに潜入した。(つづく)【飯島智則】