中根仁氏(51)は、強肩強打の外野手として活躍した。近鉄、横浜(現DeNA)に所属し、1998年には横浜が38年ぶりの日本一に輝く原動力になった。

 私は横浜担当の記者として、現役時代の中根氏を取材している。当時イップスに悩んでいるなど、まったく気付かなかった。


身ぶりをしながらスローイングについて説明する中根氏
身ぶりをしながらスローイングについて説明する中根氏

 中根氏 最初は大学(法大)時代かな。1年生の時、あまり話したことがない上級生にトスを上げることになった。体が小さく、独特のフォームで打つ先輩でした。「あれっ、どこに上げればいいのかな?」って、ちょっと迷ったら、うまく上げられなくなった。ボールが指から離れていかない。バラバラになってしまい、先輩から「もういい。代われよ」と言われました。


 打撃投手を務める際は、右打者が怖かった。中根氏は右投げで、右に抜けて打者に当てるイメージが浮かんでしまったという。


 中根氏 だから左打者の先輩に投げていました。若井さん(基安=のちに南海)や高田さん(誠=のちに巨人)…みんなが緊張するような主軸の先輩でも、左打者なら投げられました。でも、右はダメでした。


 違和感はあったものの、大学時代に深刻な症状は出なかった。


 中根氏 1人でベースまで投げていたからね。でも、プロに入ったら違った。当時の近鉄は、外野手はカットマンに返すという野球をしていました。


 当時の仰木彬監督の方針だった。外野手は捕球したら、素早く内野手に返球する。


 中根氏 1点取られても次の走者を防いで、ムダな進塁をさせない。打線が強かったからね。あとは外野にベテランも多かったから、カットプレーを徹底したのでしょう。キャンプ中の練習から徹底していました。


 これで違和感が強くなってしまった。当時はセンターを守っていた。


 中根氏 セカンドベースがすごく近く感じるんですよ。勢いつけて捕球するのに、すぐ近くに投げなければいけない。これが難しかった。最初は球が浮いちゃう。すると「きちんとカットマンに返せ」と言われる。次は加減するからワンバンになってしまう。最初はそういう繰り返しでした。そのうち投げ方が分からなくなっちゃった。


 ある時、ゴロを捕球してスタンドに向かって投げる練習をした。


 中根氏 みんなスタンドの上段まで投げるんですよ。私だけ真ん中ぐらいまでしかいかない。肩には自信があったのに…


 チームメートから「どうしたんだ?」と聞かれた。答えられなかった。

 フォームの変化を指摘してくれた仲間もいた。テークバックした際、手にしたボールが上を向いていた。


 中根氏 普通は下を向くじゃない。でも「何で上を向けているの?」と言われた。自分じゃ気付かないんですよ。「えっ、ウソでしょう?」って。ビックリしましたね。腕の振りを考えると、わけが分からなくなった。


 首脳陣の中でも話題になっていたのだろう。練習の合間に内野守備コーチに呼ばれ、スローイングを矯正された。だが、決定的な改善には至らなかった。


1992年9月21日、プロ通算50勝を挙げた近鉄野茂(右)を祝福する中根仁
1992年9月21日、プロ通算50勝を挙げた近鉄野茂(右)を祝福する中根仁

 中根氏 実はプロで1試合だけサードを守っているんですよ。簡単なサードゴロが来てね。打者は石毛さんだったかな。全力疾走していなかった。でも、あまりにも間が空きすぎるから投げにくくてね。マウンドの後ろでバウンドする球を投げてしまった。アウトだったけど、これでサードはなくなりました。


 プロ2年目の90年4月10日西武戦(藤井寺)。1-5とリードされた9回表から三塁を守っている。三塁ゴロを打ったのは石毛宏典選手ではなく、伊東勤捕手だった。2死一塁からの三ゴロをアウトにしている。

 三塁守備はこの1度だけ。なお、中根氏は894試合で外野を守り、横浜時代の01年に2試合だけ一塁を守っている。

 本職の外野でも、迷いながら守備についていたという。


 中根氏 近鉄時代はランナーなしでセンター前ヒットが来たら、ダッシュで捕球してセカンドまで走っていった。暴投で走者を進めたら最悪だから。


 引退後に打撃コーチを務めた。打撃練習の際に投手役を務める機会も多かった。


 中根氏 リズムに乗っている時はいいんですよ。でも、1球引っ掛けるとダメ。3、4球続いてしまう。抜けてもダメ。やっぱり続いちゃう。ただ、何でか分からないけど、変化球はいいんですよ。カーブやスライダーは確実にストライクを取れた。


 ボールが続くと選手の練習にならない。だから違和感が出ると変化球を多用した。直球-変化球-直球-変化球と交互に投げた。


 中根氏 これなら2球続けて見逃さずに済むでしょう。「オレは変化球投手だ!」とか言ってね。


2002年8月7日、巨人戦で1号を放った横浜中根仁
2002年8月7日、巨人戦で1号を放った横浜中根仁

 ユニホームを脱いだ今、自身の症状をどう振り返るか。


 中根氏 気を使い過ぎたのかな。イップスになる人って、そういう傾向があると思いますよ。アバウトすぎたらダメなんだけど、多少はアバウトでもいい。「いいボール投げなきゃダメだ」「低く投げなきゃダメだ」ではなくてね。


 そして続けた。現役時代にチームメートだった鈴木尚典氏(46)が、この連載の第15回で話してくれた内容と似ている。


 中根氏 野球って助け合い、思いやりでしょう。キャッチボールだって毎回きちんと投げられるわけじゃない。でも、変な球が来ても捕ってやる。そして、投げる側は捕りやすいところに投げてやる。そういう気持ちでやればいいと思います。外野手でいえば、フォローしてくれる内野手がいるわけだから。そこを信頼して投げればいい。


 そして笑った。


 中根氏 もし、イップスを100%治せる人がいたら、球団は1億円出しても契約した方がいい。各球団で取り合いになりますよ。


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 さて、1月にスタートした連載「イップスって何?」も、終盤に入ってきた。もう1度イップス先生こと、イップス研究所の所長、河野昭典氏(60)に登場してもらい、まとめていきたい。河野氏は日本イップス協会の会長でもある。

 これまで河野氏には野球の話を中心に聞いてきた。今回は別の競技でイップスの話を聞けないだろうか。そう考え、日本ウェルネス高校のゴルフ部へ指導に行く同氏に同行させてもらった。全国でも有数の強豪校である。(つづく)【飯島智則】