イップスに陥った選手をいかに指導するのか。ソフトバンク2軍監督の小川一夫氏(64)に聞いた。指導者のみならず、スカウトや編成トップとしての経験も持つ。広い視野から野球界を見据えている。


メンタルについて語るソフトバンク小川2軍監督
メンタルについて語るソフトバンク小川2軍監督

 小川氏 イップスというかメンタルの話になりますが、私は30歳ぐらいでフロントに入った時から専門家が必要ではないかと感じていました。あるとき、会社の机の上に大リーグに関する本があって、球団経営のこと、スーパースターの引退後のことなどいろんな細かいことが書いてあった。その中に心理学者の話がありました。メンタルドクターという表現だったかな。メジャーでは、どの球団にも心理学者がいると。


 同氏は1972年(昭47)、戸畑商から捕手としてドラフト5位で南海に入団した。78年に24歳で現役を引退し、さまざまなフロント業務、1、2軍の指導者を歴任した。


 小川氏 当時はアフリカ系の黒人が25%ぐらいを占めていて、彼らの特徴として調子がいい時はとことんいいけど、悪い時はとことん落ちてしまう。浮かび上がれないぐらいに落ちてしまう。そういうアフリカ系の黒人のモチベーションを保つために心理学者の力が必要だと。メンタルドクターの部屋があって、いつもドアが開いている。選手が入ってドアを閉めて話をして、ドアが開いて出てくるときは、みんな明るい表情をしている。そういうことが書いてあった。これを読んで、日本の野球には、どうしていないんだろうと思いました。


 日本では考えられなかった。


 小川氏 当時の日本はスパルタで、厳しいのが当たり前。コーチは頭ごなしに怒っていた。叱るのであればいいけど、感情任せで怒るケースもありました。気の弱い選手は特に厳しく怒られることも多くなる。指導者も言いやすいのでしょう。でも、本来は逆のはずです。気が弱い子をどうやって導いてやるかが大事でしょう。そう思っていたから、メジャーのメンタルドクターの在り方と、日本の野球の違いを感じていました。


 ここで同席していたイップス先生ことイップス研究所の所長、河野昭典氏(60)が「ベースボールと野球の違いですかね」と表現した。日本では、なかなか理解されない部分だった。


 小川氏 私はずっと「日本にも必要だよね」と言ってきたけど、なかなか難しいですね。ダイエー時代に幹部の方に「メンタルドクターが必要です」と言ったこともあります。でも「何言ってんだ、小川。プロ野球の世界にそんなの必要ないだろう」と言われました。プロ野球選手は身心とも頑強だと思われるんですね。でも「違いますよ。スカウティングは野球のうまい選手を取ってくるので、メンタルは別問題ですよ」と言いました。そんなに選べるほど、プロ野球候補はいません。どうやって育てるかが大事になります。


 野球の能力は高いが、メンタルの弱い選手もいる。


 小川氏 あれだけの大観衆の中でプレーして、舞い上がって力を出せずに2軍にいっちゃう。そういう選手もいるでしょう。身心とも頑健な選手ばかりだったら、スカウトも苦労しません。私は若い頃、寮の置いてあった初代若乃花の花田勝治さんが書いた「心技体」という本を読みました。心と技と体。何か1つ欠けても横綱になれない。まさに野球もそうだなと。三位一体でやっていかないと、いい選手になれない。


 心も、技と体と同じように重視する必要がある。


 小川氏 日本の野球は技術を教えるのはトップランク。メジャー以上に細かい技術を教える。でも、体作り、心づくりはまだまだ遅れていると感じます。そこに持っていかないと、本当に世界で戦える選手になれない。メンタル面をどう植え付けていくか。それが自分の仕事だと思っていた。そういう思いがあったから、誰か適任者いないかなと思っていた。だから河野先生に連絡をしたんです。


ソフトバンク小川一夫2軍監督(2013年撮影)
ソフトバンク小川一夫2軍監督(2013年撮影)

 初めて2軍監督に就任した2011年のことだった。あるとき、2軍練習場のブルペンをのぞきに行った。中では育成契約の投手が投球練習をしていた。すでに引退しているため、仮にA投手としよう。彼の投球はストライクどころか、まともに捕手のミットに球が収まらない。あちこちに暴投を放っていた。


 小川氏 えらい光景を見てしまったと思いました。見ない方がよかったなと。もう、まったく投げられないという状態でした。人間、人目を気にするものでしょう。見なかった振りをして、一言だけ「がんばれよ」と声をかけてブルペンを出て行きました。


 2月のキャンプに入っても、A投手は暴投を繰り返していた。あまりにひどい暴投に、周囲の選手が「おいおい」と冷やかす。


 小川氏 これ以上放らせても悪くなる一方だなと思って、別のメニューをやらせました。


 間違いなく重度のイップスだった。時間がかかると思った。


 ところが、A投手はみるみるうちに調子を取り戻し、5月には支配下登録契約を勝ち取った。同月のうちに1軍に昇格した。


 小川氏 デビューは交流戦のヤクルト戦でね。私は暴投のイメージがあるから、うわぁ、神宮かと。大勢のファンが見ている屋外のブルペンでしょう。暴投したら、ベンチまでボールが転がっていってしまう。試合を止めてしまうでしょう。大丈夫かなと。そればかりが心配でした。


 ブルペンでも難なく投球練習をし、試合にも登板した。貴重な経験を積んで再び2軍に戻ってきた。


 小川氏 戻ってきたのは神戸のホテルだったかな。私は彼が来るのを部屋で待っていました。報告に来た顔は晴れやかでね。「おい、よかったな」と声をかけました。


 ひとしきり祝福した後、イップスについて話を切り出した。


 小川氏 聞いてみたんです。「ところで、お前はひどいイップスだったよな。何で投げられるようになったんだ?」と。彼が言うには、イップスがひどかったキャンプ中、ホテルのベランダから飛び降りようとさえ思い悩んだそうです。何とか思いとどまって、インターネットで「イップス」を調べまくった。そこでイップス研究所を見つけ、わらをもつかむ思いで電話したそうです。


 「イップスは治らない」。そんな定説もあるプロ野球界で生きてきた小川氏にとって、非常に興味深い話だったという。(つづく)【飯島智則】