早実の「和製ベーブ・ルース」が、ベールを脱いだ。ラグビーのトップリーグ、ヤマハ発動機の清宮克幸監督(47)の長男・幸太郎内野手(1年)がデビュー戦で決勝打を放った。入学後3日にして「3番一塁」で先発出場し4打数1安打。リトルリーグ時代に通算132本塁打を放ち、12年の同世界選手権では「エースで4番」として世界一に貢献。鳴り物入りで入学したスラッガーが、うわさにたがわぬ勝負強さを見せた。試合は、早実が駒大高に勝利し16強を決めた。

 「和製ベーブ」と騒がれた清宮幸太郎が、もう、公式戦デビューを果たした。入学式からわずか3日で「3番一塁」で先発出場した。「背番号19」に似つかわしくない184センチ、97キロの大型内野手が、ネクストバッターズサークルで金属バットを振るたび、スタンドがざわめいた。

 リトルリーグで世界一に輝いた勝負強さを早速見せつけた。2点を追う6回。同点に追い付きなおも1死満塁の絶好機。「何としても1本出したかった」と、初球を流し打ちした。両親の見守る前で勝ち越しの左前適時打を放った。記念すべき高校初安打だったが、本人は「打った球は…多分、曲がったやつですね」とニヤリ。スライダーに体が反応しただけと言わんばかりの、大物ぶりだ。

 4番の加藤雅樹捕手(3年)を見に来た4球団のスカウトたちも思わず目を奪われた。楽天は早くもビデオを回しチェック態勢。楽天長島スカウト部長は「すごい体の子がいるなと思いました。3年間でどれぐらいのスケールになるのか楽しみです」と舌を巻いた。

 数々の逸話を残し早実入りした。12年リトルリーグの世界選手権で活躍。米メディアは同じ左のスラッガーにちなみ「和製ベーブ・ルース」と報道した。調布シニアの安羅岡一樹監督(52)は「打つと硬式球が変形していたことがある」と証言。推定150メートル弾も何度も見た。「ヘッドスピードが速い」と超高校級スラッガーの誕生を予言する。

 球界を背負うであろう逸材の誕生は、早実のOB「佑ちゃん」がきっかけだった。06年夏の甲子園。斎藤佑樹(日本ハム)がエースの早実と、田中将大(ヤンキース)を擁した駒大苫小牧の決勝再試合をアルプススタンドで見た。早実初等部1年だった清宮は「ラグビーも大好きでしたが、野球の方が勝負できると思いました。(プレー)人口も多くて切磋琢磨(せっさたくま)できる」と同4年までラグビーを続け、その後は野球一本に絞った。

 あれから9年がたち「WASEDA」のユニホームを着て、この日グラウンドに立った。テレビカメラ3台、約30人の報道陣が押し寄せたが、幼いころから注目を浴びたスラッガーは冷静だった。「日本一のスラッガーになりたいです。でも、今日みたいなのじゃ、まだまだですけど」。伝説が始まる前に、ちょっとだけ15歳の素顔を見せた。【和田美保】

<清宮幸太郎(きよみや・こうたろう)アラカルト>

 ◆生まれ 1999年5月25日、東京都生まれ。

 ◆身長 184センチ。

 ◆体重 97キロ。中1当時183センチ94キロあった。

 ◆投・打 右投・左打。

 ◆ラグビー歴 小4まで。その後野球一本に。

 ◆家族 父・母・弟。

 ◆世界最長弾 早実中1年の12年夏、東京北砂リトルの主砲として米で開催されたリトルリーグ世界選手権に出場。8月22日パナマ戦で、右翼席中段へ推定310フィート(約94メートル)の本塁打を放った。66回目の同大会史上最長のアーチは、米メディアに「モンスター・ホームラン」と形容された。この大会、5試合で打率6割6分7厘、3本塁打で世界一に貢献。

 ◆“104マイル”投手 リトルの世界大会で、この年代では飛び抜けている80マイル(129キロ)の速球も話題に。米メディアで「投本間が短いリトルリーグ。体感では104マイル(167キロ)に相当する。ジャパニーズ・ベーブ・ルースだ」と、驚きとともに紹介された。

 ◆中2で160メートル弾 13年12月15日、阪神掛布打撃コーディネーター(DC)が調布シニアの練習を視察。清宮がシート打撃で放った推定160メートルの場外弾に「清原、松井クラス」と大絶賛した。

 ◆佑見て野球 06年夏の甲子園を観戦。「ラグビーも大好きでしたが、野球の方が勝負できる」

 ◆1300グラムバット 木製バットで日々ティー打撃を行う。