今春の北海道大会を制した北海が北照を下し、全国最多36度目の甲子園出場を決めた。道大会の春夏連覇は07年駒大苫小牧以来。3回2死満塁から、主将の4番鎌仲純平左翼手(3年)が先制の2点左前適時打を放つなど3点を先行。守っては、背番号8の山本樹投手(3年)を、無失策の堅守がもり立てた。全員野球で119チームの頂点に立ち、4年ぶりの夢切符をつかんだ。

 マウンドの中心で抱き合う仲間たちのもとへ、左翼の守備位置から全速力で駆けつけた。北海の鎌仲主将は「うれしいという言葉しかない。90人全員で悔しい秋を過ごしたことが、この結果につながった」と、喜びをかみしめた。昨秋の道大会決勝で1点差負けしてから、約9カ月。あの日の涙は、笑顔に変わった。

 プレッシャーを、自らの一打ではね除けた。3回2死満塁の絶好機。2球目、外の真っすぐを逆らわずに左前へ。「真っすぐには強い自信があった」。のどから手が出るほど欲しかった先制の2点をもぎ取った。「やっぱりキャプテン。4番の仕事をしっかり果たしてくれた」と平川敦監督(44)は感無量だ。守備では今大会初先発した右翼手の大西が、強風で流された難しい飛球を再三、好捕するなど、主役だけでなく脇役も完璧だった。

 創部115年の伝統を誇る古豪も、夏は甲子園どころか、2年連続で札幌地区予選敗退の屈辱を味わった。今大会、打撃好調だった3番丹野は「入学した時は、1回くらい甲子園に行けるだろうとなめていた」と、本音を明かす。無理もない。何せ、夏は全国最多、春夏合わせても十指に入る出場回数を誇るのだから。センバツ切符が懸かった昨秋の全道大会では準優勝に終わり、甲子園には、あと1歩届かなかった。「すごく遠い存在。甲子園に行くことが、こんなに難しいことだとは思わなかった」と鎌仲。敗戦に涙する姿を報じた決勝翌日の紙面に「執念」という言葉を添えて、下宿先の壁に張り出し、もう負けないことを誓った。

 道大会で3季連続の決勝進出という事実が、現チームの底力を示している。それでも「春に勝つと、夏に勝てないジンクスがあった。春に勝つと満足感に浸ってしまうから難しい」と平川監督。そんな状況で、少しでも気が抜けたプレーをすれば、同級生にも「グラウンドから出ろ」と容赦ない言葉を浴びせた“鬼主将”の存在は大きかった。

 21世紀になり、北海にとって4度目の挑戦で今回が初の春夏連覇。今年、北海道では無敗のまま、聖地へ乗り込む。「東海大四のセンバツ準優勝を超えたい。僕たちが1回戦敗退したら、あいつらの準優勝もまぐれだと思われる。北海道は強いんだぞと、全国に知らしめたい」と鎌仲。どこまでも真っすぐなおとこ気で、古豪復活を印象づける。【中島宙恵】

 ◆北海と全国大会 春夏計29勝47敗。夏はベスト4が1度、ベスト8が8度など17勝。センバツは準優勝、ベスト4が各1度、ベスト8が2度など12勝。大会名が全国中学野球だった1920年(大9)、北海中時代に北海道の最初の代表として出場(1回戦敗退)。初勝利は22年、1回戦で名古屋商(愛知)を11-3で下した。球場が鳴尾球場から甲子園に変わった24年、開幕戦で静岡中を5-4で下し、夏甲子園で全国最初の勝利を挙げている。

 ◆北海 1885年(明18)、北海英語学校として創立の私立校。野球部創部は1901年。48年に普通科の男子校として現校名に改称し、99年に男女共学化。生徒数は1224人(女子519人)。OBに元ヤクルト若松勉ら。所在地は札幌市豊平区旭町4の1の41。山崎省一校長。

◆Vへの足跡◆

◇札幌地区大会

2回戦1-0札幌丘珠

3回戦12-5北星学園大付

代表決定戦9-0札幌琴似工

◇南北海道大会

1回戦12-0北海道栄

準々決勝3-2駒大苫小牧

準決勝11-1小樽潮陵

決勝3-0北照