南陽工(山口)のエース重冨将希投手(3年)が16失点しながらも、1人で134球を投げ抜いた。初回に味方の適時失策で先制されると、打者11人の攻撃を食らって8失点。「立ち上がりが全て。1点目を取られた後に切り替えられなかったのが反省」と以降も秀岳館打線を止められなかった。

 野球人生最多となる3本の本塁打を被弾し、18安打を献上。アルプス席へのあいさつを終えると「山口県から応援に来てくれたのに、こんな試合をして申し訳ない」と涙を流した。秋の公式戦で30イニングを投げた藤本大輔捕手(3年)は、肘の故障で今年に入り登板がなかった。山崎康浩監督(54)は「(藤本は)マスクをかぶるのがやっとの状態。将来がある子だから、投げさせて無理させたくなかった。重冨は夏の大会に向けて足りなかった部分を勉強してほしい」と語った。

 重冨にとっては、明暗がくっきり分かれた甲子園だった。初戦の市和歌山戦は公式戦初の完封勝利。だが、秀岳館の強打線は甘くなかった。下松市の末武中時代には軟式野球部に所属。早々に「南陽工に行く」と決めた。部活以外の遊びもいつもバッティングセンター。中3秋に引退後は、南陽工入学まで毎日通い続けた野球好きだ。当時のチームメートで常に行動を共にした藤井誠己外野手(3年)には「(進路を)迷っているなら、一緒に来る?」。藤井は「あいつがおるんだったらやれるかも」と南陽工進学を決断した。重冨の南陽工に対する熱い思いは、入学前から宿っていた。

 藤井はこの日、記録員としてベンチ入り。スコアブックに赤色で記す安打の印は、相手の18安打でみるみるうちに増えていった。初回に8失点を喫すると「ここから1点ずつ返していこう。その1点で変わる」とベンチで声をかけた。大敗にメンバー入りできなかった悔しさが重なり、試合後は藤井も涙した。重冨や、チームに対して抱いた感情も変わった。

 「今の(チームの)ままじゃダメ。あと4カ月、短いかもしれないけれど、レベルアップしないといけない。今までは強いことを言いにくかった。でも、自分も発言しないと強くならない」

 山崎監督は「公立高校としてできるだけのことをやったと思っていた。でも、私の考えが甘かったのかもしれない」と言った。重冨も「今日みたいにエラーをした後も、切り替えられるようにしたい」と心技体の成長を誓った。重冨はもちろん、チーム全体にとって忘れてはいけない2時間23分の戦いだった。