東京から最初に夏の全国選手権大会に出場した早実の和泉実監督(56)は、「早実の伝統」を語る上で象徴的なシーンを挙げた。早実OBのソフトバンク王球団会長が2年生エースでセンバツを制した時、パレードを開催。主将の隣に座ったのは王だった。年功序列が一般的とされるが、和泉監督は指導者らが「活躍した者が、一番前に出るべき」と指示したと聞いた。

 その考えは、今も脈々と受け継がれる。高校通算111本塁打の清宮幸太郎(日本ハム)、現主将の野村大樹(3年)らは1年から主軸で出場。清宮は1年春の東京大会3回戦の駒大高戦に「3番一塁」で初出場。野村は1年夏から「4番三塁」で起用された。

 和泉監督 今、活躍できる選手を選びます。清宮の時は「3番一塁」が空く中、実力で奪ったし、野村も同じです。

 歴史がそれを物語る。和泉監督が「力があれば、何年生でも使うのは昔から。その象徴」と名前を挙げたのが、荒木大輔(日本ハム2軍監督)だった。1年夏からエースを任され、5季連続で甲子園に出場した。

 和泉監督 選手にも旬があると思います。1年時が、一番いい時かもしれないし、いかに見極めるか。

 和泉監督がそうであるように、選手にとっても王の存在は目標、指針となる。折にふれ、和泉監督は選手たちに「王さんを見てみなさい」と言葉を掛ける。

 和泉監督 人として、野球人として、最高のお手本が身近にいるわけですから。王さんを見れば、自分はまだまだだと気付く。

 第1回大会で全国大会に出場した東京最初の代表校である伝統を大切にしながら、進化を求める。だから、100年以上も歴史を刻み続ける。「伝統校だからと、一本やりでいくのではなく、逆に新しいものに挑戦していこうと。100回大会の後は101回。早実である以上、毎年甲子園を期待されますし、思いは変わりません」。【久保賢吾】