2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。これまで数多くの名勝負が繰り広げられてきました。その夏の名勝負を当時の紙面とともに振り返ります。

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<第91回全国高校野球選手権大会:中京大中京10-9日本文理>◇2009年8月24日

 中京大中京(愛知)が日本文理(新潟)を10―9で破り、43年ぶり7度目の優勝を飾った。エース兼4番のドラフト上位候補、堂林翔太投手(3年)が先制2ランを含む3安打4打点の活躍。6点差の9回に5点を返されたが、追い上げをかわして競り勝った。県勢初の決勝進出を果たした日本文理は今大会5試合連続の2ケタ安打をマーク。初優勝はならなかったが、驚異的な粘りで4万7000人の観衆を沸かせた。

 ライトから堂林は祈っていた。6回に1度降板しながら、志願して上がった最終回のマウンド。6点差から2点返され2死一、三塁で再びKO。2年の森本も打たれた。ついにリードは1点。なお一、三塁で強烈なライナーが三塁へ…。打球は三塁・河合のグラブに消えた。「打球は見えなかったけど、完治(河合)が捕ってくれて終わったんだなと…」と言うと、涙が止まらなくなった。優勝インタビューは帽子で顔を隠してすすり上げ、ナインに謝った。「本当に最後は苦しくて…情けなくて、ホントすみませんでした」。敗者のように泣き、謝罪する異例のヒーローだった。

 打たれはしたが、打った。1回、「勝手に体が反応した」と、高めの変化球を右中間に先制2ラン。2―2の6回2死満塁では、左前に弾丸ライナーの2点勝ち越し適時打を放った。伊藤を打ちあぐむ中、圧倒的な打撃を見せ、一挙6点の猛攻を呼んだ。

 あきらめかけた夏だった。8強入りした今春センバツ直後の4月。練習試合で右ひざ靱帯(じんたい)を損傷し、2カ月離脱した。家では不安からふさぎ込んだ。5月。異変を察した大藤監督が「思ってることを抱えず、全部出せ」ときつく諭した。ケガより先に、へこんだ心が治ると「いい子」だったエースは変わった。大藤監督が「我(が)が出てきた」と認めるように、捕手のサインには首を振り、後輩の指導にも熱を入れた。

 「エースで4番」を中心に、古豪が復活した。優勝を目指したセンバツ準々決勝では、報徳学園に9回あと1死のところで逆転されて負けた。それ以降、目先の1勝、1球にこだわった。終盤こそ乱れたが、大量リードでも犠打やスクイズを絡めて1点を取りにいった。「苦しくても勝てたことがチームの成長」と、エースは声を震わせた。

 ユニホームは伝統の立ち襟から、大きくデザインチェンジされた。夏の決勝は7戦7勝。夏の3連覇、春夏連覇も達成した古豪が新しい、栄光の1ページを刻んだ。「日本一を目指してずっとやってきた。優勝からも遠ざかっていたけど、何とか自分たちで歴史を塗り替えようと思っていた。良かったです」と喜んだ堂林は、打者としてプロを目指す。打って、打たれて、泣いた。最後に、堂林のための舞台が用意されていた。

 

※記録と表記などは当時のもの