明豊(大分)が大会屈指の左腕を打ち下し、大分勢のセンバツ最多得点となる13得点で優勝候補の横浜に圧勝した。最速153キロ左腕、及川を3回途中で攻略(及川は後に再登板)。2回までに4失点の劣勢も、プロ注目の横浜の「怪物」から5得点を奪う逆転劇だった。大分県勢としては、1985年(昭60)津久見の初戦(1回戦)東洋大姫路戦での9得点が最高だったが、12安打での13得点と大幅に記録を更新。九州勢としても対横浜初の2ケタ得点もマークして「猛打明豊」を見せつけた。

打線に火をつけたのは、大阪桐蔭で昨年春夏連覇を達成した青地斗舞(同大1年)の弟、七斗内野手(3年)が2回にチーム初安打。主将の表悠斗内野手(3年)が「最初は及川相手にやばいと思ったが、青地のヒットでみんながいけるとベンチで言っていた」。3回にその表がチーム初打点で反撃ののろしをあげると、3番布施心海外野手(2年)、4番野辺優汰内野手(3年)の連打などで同点に。その後、再び青地が内野安打を放って勝ち越しに成功した。

智弁和歌山で1年時に夏甲子園で優勝。3年連続夏の甲子園を経験した川崎絢平監督(37)の「マジック」も効いた。対戦が決まってマシンを1、2メートル前に置いて、体感速度160キロにしてきたが、前日(23日)ミーティングでの指示はシンプルだった。「お前らなら直球は大丈夫。低めの変化球は捨てなさい。見逃し三振でもOK」。川崎監督は「根拠がないけど、うまくいきました」。さらに「3年生でずっと出場できずに試合に出たいという気持ちが強い」と決断した背番号12・青地の初スタメン起用も見事にはまった。

名将・高嶋仁前監督(72)の教えを引き継ぐ青年監督に導かれ、明豊ナインが注目左腕に襲いかかった結果だった。「僕らの目標、ベスト4以上に向けて次からも全力で戦いたい」。表主将は09年今宮健太(現ソフトバンク)擁して8強入りした先輩たちを超えることを誓った。【浦田由紀夫】