3年ぶり10度目出場の八戸学院光星(青森)が、わずか3安打で広陵(広島)に0-2と完封負けし、春夏甲子園出場11大会ぶりに初戦敗退となった。8回表2死二、三塁の好機に主将の武岡龍世内野手(3年)が遊飛。エース右腕・後藤丈海(3年)の粘投を、好守備連発で盛り上げたが、あと1歩及ばなかった。悲願の東北勢初優勝は、29日の2回戦で龍谷大平安(京都)と対戦する盛岡大付(岩手)に託された。

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甲子園に響いた金属バットの鈍い音。光星の強力打線が苦しんだ象徴だった。2点を追う8回2死二、三塁。最初で最後の大チャンス。プロ上位指名も目標に掲げる武岡の存在価値を示せる場所だった。カウント1-2からの内角球に差し込まれ、力なく遊撃手のグラブに収まった。武岡は「真っすぐも変化球も対応出来なかった。球威もキレも想像以上でした」。仲井宗基監督(48)も「グシャっと…金属バットが折れたかと思いました」と苦笑い。だが、夏の日本一への闘志には亀裂すらない。

本気で日本一をとりにいく。昨秋の明治神宮大会後に監督、スタッフ、選手全員が、頂点への意識を言葉にして目標を掲げ直した。同時に2つの大きな“仲間”の思いも背負い直した。

選手らの帽子には「吉川と一緒に甲子園」とマジックで記されている。本来なら今も同期3年生とともに「KOSEI」のユニホームを来て切磋琢磨(せっさたくま)していたはずだった吉川智行さんが、昨年8月に脳腫瘍で死去。グラウンドでも寮でも投手陣の盛り上げ役だった。前日25日の選手ミーティングでも「吉川のために」と結束した。

121球を投じ、2失点完投の後藤は「一生の仲間。優勝旗を持って、あいつのお墓参りに行くことが自分たちの目標の1つ。もう夏しかない。やるしかない」。甲子園初登板で力みすぎ、2回から5イニング連続で先頭打者を塁に出すなど、序盤は制球に苦しんだ。5回には相手送りバントに、得意のフィールディングで三塁封殺を狙うも、ボールが手につかなかった。「ミスや隙があったら勝てないことを痛感した。気持ちは熱く、頭は冷静じゃないといけない」。大舞台での経験値は確実に上がった。

東日本大震災被災地への思いも強まった。仲井監督の提案で「3・11」に八戸を出発して大阪へ。同日午後2時46分には新潟県を通過中の道中でバスを停車し、全員で黙とう。武岡は「亡くなって夢すら見ることの出来なくなった人もいる」。大阪入り後、宿舎に駆けつけ洗濯などで補助してくれる両親の協力も当然でないことを感じ、感謝の意を力に変えていく。

甲子園初戦突破の記録は止まったが、優勝経験のある強豪との対戦で、1つ強くなれる教訓は得た。昨夏の龍谷大平安(京都)戦で2失策した武岡も、難しいバウンドに合わせ併殺を奪うなど、大きな成長を披露できた場面もあった。3季連続出場に挑む今夏。光星は仲間のために成長を続ける。【鎌田直秀】

◆下山昂大内野手(3年)が、9回表に意地の一打を見せた。自己最速を2キロ上回る最速150キロを記録した右腕を攻略できなかったが「このまま簡単には終われないと思った」。直球をしっかり捉えて右前に運んだ。原瑞都外野手(3年)は痛烈な一直で最後の打者となったが「力をつけて、夏に帰ってきたい」。近藤遼一内野手(3年)も「スライダーに狙いを変えて打てた」と、直球を見逃し三振の前打席からの修正能力で7回に左前打を放ち、自信につなげる。

◆八戸学院光星が初戦敗退 同校は11年春から出場10大会連続で初戦を突破していた。初戦敗退は09年春(1●2今治西)以来。