熊本西は大敗にも天国の友とともに戦い抜いた。昨年秋に練習試合の死球でチームメート(当時2年生)が亡くなるアクシデントを乗り越えての大舞台。2時間21分を楽しんだ。

2回に先制する最高のスタートだったが、3回以降に打線につかまった。それでも横手文彦監督(43)は「彼のためにも勝って、もっと甲子園を楽しみたかったが…」と声を詰まらせ「(死亡したチームメートを含めて)部員45人で戦えたと思います」と涙をこらえながら言葉を絞り出した。

9番スタメンの久連松はバッグに亡くなったチームメートの写真を入れていた。「登下校は一緒だった。試合前にバッグを開けて『今から行くよ』と声をかけました」と言って、こみ上げるものをこらえた。ピンチでマウンドに集まるたびに最後は全員で空を見上げて笑った。霜上主将は「あいつが命に代えて僕たちを甲子園に連れてきてくれたと思っている。常に一緒に戦っていました」と胸を張った。

この日2安打を放った浦田は、亡くなったチームメートの双子の弟のグラブを手にプレーした。「あいつを通じてグラブをもらいました。大事に使ってます。楽しかったよ、って伝えます」。甲子園の土を持ち帰った。「春と夏で土の質が違うと聞いたんで。夏もまた来て持ち帰ろうと思います」。“45人の春”は終わった。亡き友との最後の夏へ-。「熊西ナイン」の最終章がスタートする。【浦田由紀夫】