高校野球にはユニホームの数だけ物語がある。「衣風堂々」と題して各校のユニホームに込められたこだわりやエピソードを紹介する。

国学院栃木(栃木)

<高校野球栃木大会:石橋5-3国学院栃木>◇21日◇3回戦◇宇都宮清原球場

国学院栃木は今年から新たなユニホームにした。柄目直人監督(36)は「令和元年と100回大会が終わって、101回大会という新たなスタートに合わせて変更しました」。色はアイボリーから白に。正面は「国学」から「KOKUGAKU」に変更した。以前、左胸にあった校章は左腕に移した。

監督は「継承するモノと、大学とのつながりを意識しました」と国学院大のスクールカラー「赤紫」も取り入れた。右腕には栃木ではなく「栃木市」と刻む。県代表ではなく、地域を代表して戦うという意思表示だ。この夏は甲子園に届かなかったが、新たな伝統を紡いでいく。

刷新したユニホームを着てガッツポーズの国学院栃木・安武
刷新したユニホームを着てガッツポーズの国学院栃木・安武

浦和学院(埼玉)

<高校野球埼玉大会:浦和実2-0浦和学院>◇20日◇4回戦◇県営大宮公園野球場

イメージを一新した。浦和学院の従来のユニホームは無地に「URAGAKU」と胸に入っていた。森士(おさむ)監督(55)が09年にAAAアジア野球選手権大会で日本代表監督を務めたことをきっかけに、10年にモデルチェンジした。

細い縦ストライプ、左胸に赤い文字でチーム名という当時の代表のデザインをモチーフにした。JAPANの頭文字「J」が大きいように、URAWAの「U」が大きい。字体もそっくりだ。この日、浦和実に敗れ甲子園に届かなかったが、ウラガク侍の精神は来年につなぐ。

4回戦敗退が決まり、号泣する浦和学院ナイン(撮影・伊作将希)
4回戦敗退が決まり、号泣する浦和学院ナイン(撮影・伊作将希)

南部(和歌山)

<高校野球和歌山大会:南部6-1新翔>◇17日◇2回戦◇紀三井寺公園野球場

「南高梅」(なんこううめ)で知られる和歌山県みなべ町の南部が初戦に快勝した。

左袖の校章にはきれいな梅の図柄。かつて人気だった「高田梅」を最優良品種と定めた調査を同校園芸科が担ったことで、65年に「南高梅」に名称変更された。園芸科は17年度に統合され「食と農園科」になったが、矢野健太郎監督(29)は「今の3年生は食と農園科の1期生なんですよ」と教えてくれた。

和歌山・南部の校章(撮影・柏原誠)
和歌山・南部の校章(撮影・柏原誠)

栃木工(栃木)

<高校野球栃木大会:宇都宮工5-1栃木工>◇17日◇2回戦◇栃木県総合運動公園野球場

栃木工は94年に県内最初のかぶりの2つボタンタイプを採用し、胸のロゴを「栃工高」から「TOCHIKO」に変更した。色もアイボリーから白に。日向野久男監督(58)は「栃木工のスタイル・考え方・取り組み方を白いキャンバスに描く。腕と脚のラインは、高校野球を通して、しっかりした人間としての道を歩んでいくためのラインをイメージ」と説明する。ストッキングは各科を表し、紺は機械科、赤は電気科、黄は電子情報科だ。

シード校として挑んだこの夏は初戦で宇都宮工に敗れた。昨年6月に左膝前十字靱帯(じんたい)を断裂し今春後に本格復帰した増田尊主将(3年)は、全てをかけて挑んだ3打席で凡退した。「やれることはやった。悔いは1つもないです」と涙をこらえ、野球人生に終止符を打った。

栃木工のユニホーム
栃木工のユニホーム

芦屋(兵庫)

<高校野球兵庫大会:武庫荘総合8-3芦屋>◇16日◇3回戦◇ベイコム野球場

芦屋のユニホームは1946年(昭21)夏の甲子園初出場時からストッキングを除いてほぼ変わっていない。武庫荘総合に敗れたが、中井駿主将(3年)は「伝統校ということは選手の誰もが知っている。伝統の重みあるユニホームで試合ができて光栄です」と胸元を見つめた。

52年夏には初優勝した伝統校も、翌53年を最後に夏の甲子園から遠ざかる。中井が主将になって目指した「自ら考えてプレーをする」野球を後輩に託し、また戦いが始まる。

武庫荘総合対芦屋 5回から登板し力投する芦屋・西井(撮影・清水貴仁)
武庫荘総合対芦屋 5回から登板し力投する芦屋・西井(撮影・清水貴仁)

雪谷(東東京)

<高校野球東東京大会:雪谷8-4成立学園>◇15日◇3回戦◇神宮球場

雪谷は「信頼・闘志・情熱」と手書きでベルトに書いていた19年前、当時の相原健志監督(52=現日体大荏原監督)が「その熱い思いをユニホームにしよう」とデザインを変えた。

雪谷の生徒を表す純白の上に大きく漢字の「雪谷」を、情熱をイメージして朱赤で入れた。2年後、都立校として3校目の甲子園出場を決め、ベルトの言葉を部訓に採用。白と赤の配色から「赤い旋風」と話題になった。今年はシード校として参加する。16年ぶりの甲子園出場に向けて、まずは東東京で再び「赤い旋風」を巻き起こす。

雪谷対成立学園 先発し好投する雪谷・大沢(撮影・加藤理沙)
雪谷対成立学園 先発し好投する雪谷・大沢(撮影・加藤理沙)

県岐阜商(岐阜)

<高校野球岐阜大会:県岐阜商6-5大垣西>◇14日◇2回戦◇長良川球場

県岐阜商(岐阜)は新ユニホームを泥だらけにして必死の逆転勝ち。18年3月から母校の指揮を執る鍛治舎巧監督(68)は冷や汗発進に「相当苦しんだ。采配がよくなかった」と苦笑いした。

帽子とアンダーシャツが青。ストッキングと胸文字は山吹色。トップスには薄く黄色ラインが入る。24年の創部以来続いたクラシカルな白と濃紺から大胆に変わった。昨年から段階的に変え、春の東海大会で完成型を披露した。配色は監督のこだわり。「僕がいたところは全部これ。反対色、補色で(コントラストが)ハッキリする。体が大きく見えます」と説明。春には「低迷していて少し暗く感じた」とも話していた。

同監督がプレーした松下電器(現パナソニック)のユニホームが原点で、率いた中学野球の枚方ボーイズ(大阪)や秀岳館(熊本)も同配色。9年ぶりの夏の甲子園へ、成果は出るか。【柏原誠】

県岐阜商対大垣西 逆転勝ちして校歌を歌う県岐阜商(撮影・柏原誠)
県岐阜商対大垣西 逆転勝ちして校歌を歌う県岐阜商(撮影・柏原誠)

横浜隼人(神奈川)

<高校野球神奈川大会:横浜隼人4-0大磯>◇14日◇2回戦◇サーティーフォー保土ケ谷球場

横浜隼人の甲子園出場は09年(平21)夏の1度だが、その1回で大きなインパクトを残した。

黒の縦じまに黄色い縁取り、帽子には横浜の「Y」と隼人の「H」をあしらったデザイン。甲子園を本拠地とする阪神にそっくりなユニホームで、地元ファンから大歓声を浴びた。徳島出身で阪神ファンの水谷監督が、部長時代の89年(平元)夏に「甲子園にはシンプルなのが似合うけど、一番派手に目立とうと」導入した。今大会から、帽子のロゴなどをマイナーチェンジ。「ハマトラ」が再び甲子園を目指す。

横浜隼人対大磯 力投する横浜隼人先発の加藤(撮影・鈴木正章)
横浜隼人対大磯 力投する横浜隼人先発の加藤(撮影・鈴木正章)

佐倉(千葉)

<高校野球千葉大会:佐倉2-1流通経大柏>◇13日◇2回戦◇ナスパ・スタジアム

県立移管120周年の佐倉(千葉)が2-1の接戦で流通経大柏を破り、初戦を突破した。チームは偉大な先輩、巨人長嶋茂雄終身名誉監督とともに戦っている。当時のユニホームとは違うが、上着のライン、帽子の「S」は同じ。胸の「SAKURA」の文字は長嶋氏の巨人監督時代のユニホームと似せた文字に。上着、パンツの内側にあるタグには背番号「3」が刺しゅうされている。和田宗矩主将(3年)は「長嶋さんの母校で野球がしたい」と入学するなど、いまだにその影響力は強く、堀内幹仁監督(61)は「試合でも長嶋さんの力をお借りしたい」とユニホームから大きな力を体で感じて戦っている。

OB長嶋茂雄氏にあやかったデザインの佐倉のユニホーム
OB長嶋茂雄氏にあやかったデザインの佐倉のユニホーム

同志社(京都)

<高校野球京都大会:北嵯峨2-0同志社>◇12日◇2回戦

全国で15校しかない夏の大会皆勤校。公式戦専用は胸に「DC」の大文字。校名と大学(カレッジ)の頭文字をとった。同大が1907年から採用したデザイン。30年ごろに大学が現在の「DOSHISHA」にした際、受け継いだ。右袖のシンプルな「同志社」の3文字も系列校で唯一。大学が濃紺を取り入れる一方、高校はスクールカラーの「ロイヤル・パープル」(紫)を用いる。シード校の北嵯峨に惜敗した湯川哲平主将(3年)は「激励に来たOBの方々が昔のお話もしてくださる。このユニホームには伝統を感じます」と特別な思いを口にした。

北嵯峨対同志社 胸に「DC」と入った同志社のユニホーム
北嵯峨対同志社 胸に「DC」と入った同志社のユニホーム

目白研心(東東京)

<高校野球東東京大会:芝5-4目白研心>◇11日◇2回戦

今夏の初戦、指導陣から選手たちへ新しいヘルメットがサプライズで用意された。創部10年目の昨秋、強豪日大三を破った大番狂わせをきっかけに「さらに強くなって、目白研心の名を全国に広めて欲しい期待を込めて」デザインを変更した。胸に「目白研心」が入ったユニホームに合わせヘルメットをローマ字の「MK」から「研心」へ変更した。選手たちは日大三戦で勝つ楽しみを味わい「つらい練習も苦しい経験も勝つためなら」と成長してきた。創部11年目の今年、夏は惜しくも初戦で敗れたが、新しいヘルメットとともに歴史を塗り替えていく。

試合前練習で指導陣からサプライズで用意された「MK」から「研心」へと新しくなったヘルメット(撮影・加藤理沙)
試合前練習で指導陣からサプライズで用意された「MK」から「研心」へと新しくなったヘルメット(撮影・加藤理沙)

吉田(山梨)

<高校野球山梨大会:吉田5-3韮崎工>◇10日◇2回戦◇富士北麓公園野球場

左胸の「Y」が”吉高”のシンボルだ。ユニホームは、校名の頭文字の字体に特徴がある。装飾を施した「花文字」と呼ばれ、両足側部と袖口に2本線。白地に紺が映えるスッキリしたデザインだ。47年に創部。以前は両胸に「YOSHIDA」だったが、約半世紀前に現在のデザインに変更された。後援会長の渡辺英機さん(77)は「清潔感があって、文武両道の校風にあっている」。初戦となった韮崎工戦で、3安打1打点の渡辺佑樹外野手(3年)は「4つ上の兄が着ていて、吉高を志望しました」。安打のたびに「Y」が躍動。勝利に貢献した。

マウンドに集まる吉田の選手たち(撮影・古川真弥)
マウンドに集まる吉田の選手たち(撮影・古川真弥)

市岡(大阪)

<高校野球大阪大会:市岡10-6三島>◇7日◇1回戦◇南港中央

帽子を見れば、市岡とわかる。白をベースに紺の三本線が帽子を囲む伝統のデザイン。野球部は1906年に創部。全国大会は21回出場の名門だ。三本線は大阪市で3番目にできた旧制中学校を表し、公式戦と他府県との試合、府内の定期戦以外はかぶらない。宗森亘輝主将(3年)は「他のチームには絶対にない。公式戦でかぶるのは特別な気持ち」。この日は三島に勝ち、令和の夏1勝を挙げた。

市岡の野球帽(撮影・南谷竜則)
市岡の野球帽(撮影・南谷竜則)

松原(西東京)

<高校野球西東京大会:千歳丘9-0松原>◇6日◇1回戦◇神宮

松原はお披露目した新ユニホームで、1勝を挙げることはできなかった。無安打での敗戦。それでも試合を楽しんだ。1年生7人、2年生3人の下級生軍団。槻田幹雄内野手(1年)が足をつって交代するアクシデントはあったが、10人全員が神宮でプレーした。しかも、開幕試合。上村健太主将(2年)は「いつもと違う気分だった」と2つのワクワク感を楽しんだ。

選手自身で決断した。ユニホームを変えると決めたのも、デザインを決めたのもすべて選手だった。宮坂純一監督(49)は「業者とのやりとりも含めて選手に任せました」と語る。胸の文字が黒と緑で刺しゅうされた「MATUBARA」から、金と紺でプリントされた「松原」へと変わった。素材も軽くなり、上村主将は「走りやすかった」と変化をプラスに捉える。

3年生がいないため、来年も同じメンバーで試合ができる。槻田は「この経験を生かしたい」と、早くも新チームを見据えた。【飯岡大暉】

今大会から新調した松原のユニホーム
今大会から新調した松原のユニホーム