大船渡・国保陽平監督(32)が決勝での「佐々木温存」を貫き通した。

「故障を防ぐためです。未来があるので。甲子園はもちろん素晴らしい舞台で、勝てば待っているのは分かっていたのですが、3年間朗希を見てきて、これは壊れる可能性が高いのかなと、私には決断できました。佐々木朗希が投げなくても勝利を目指せると思いましたが(相手の)守備で封じられてしまった」。途中起用もしない意向は選手には伝えていなかった。

「守備があるとスローイングを100%で投げてしまう可能性もあるし、スイングも同じ。それならフルスイングできる(他の)野手の方が良いのかなという判断です」と説明した。代役先発に準々決勝の久慈戦で好投した大和田健人(3年)や和田吟太(3年)を起用しなかったのも、疲労や故障の予防を考慮した。

これまでは選手と会話し、相談しながら選手起用やチーム方針などを決めてきた前例もあった。サインをあまり出さないスタイルも、選手から出た要望を尊重したからこそ。主力選手の中には「彼には上のステージもありますし、体を考えると間違った判断ではなかったと思う。でも、ちょっとは相談してもらいたかった。そうなれば朗希の意見を尊重した。個人的には投げて欲しかった」と複雑な心境を明かす声もあった。

大差がついてしまったが、すべては結果論となる。同監督は「とても大きな決断。一生心に残る決断。そこは大人がと思いました。複数投手を育てられなかった私の力不足です」。世界の宝が試合中に故障した可能性もゼロではない。全責任を背負った、一番近くで見てきた監督の判断だった。【鎌田直秀】

◆国保陽平◆ こくぼ・ようへい。1987年(昭62)3月14日、岩手・盛岡市生まれ。盛岡一、筑波大を卒業し、一般企業就職を経て米独立リーグ挑戦。帰国後、体育教師として13年から花巻農監督。17年から大船渡監督。現役時代は右投げ右打ちの外野手