5年ぶり29回目のセンバツ切符を手にいれた県岐阜商は17日に急死したOB高木守道氏(享年78)に追悼星を捧(ささ)げる。

24日、岐阜市内の同校で吉報を受けた鍛治舎巧監督(68)は「偉大な先輩でありながらフランクに接していただき、残念ではありますが、なんとか御霊前にいい報告がしたい」と偉大なOBに名門復活星を届けることを誓った。

鍛治舎監督は14年から指揮をとった熊本・秀岳館で4度の甲子園に出場、3季連続ベスト4入り。18年3月、母校監督に就任した。 「特別ユニホームに対する思いはないのですが、すべてをゼロにして練習方法からあらゆるものを新しくしてスタートさせた」と就任時に伝統のユニホームを一新。今回のセンバツにはさらにリニューアルして臨むという。140キロ台の投手5人を擁した新生・県岐阜商。レジェンドOBにまずは1勝を捧(ささ)げ、その先にある80年ぶりの頂点をも見据えている。

 

◆鍛治舎巧(かじしゃ・たくみ)1951年(昭26)5月2日、岐阜県生まれ。県岐阜商3年時の69年センバツで比叡山(滋賀)の間柴(元ダイエー)からセンバツ甲子園通算100号。早大では大学日本代表の4番を務め、東京6大学通算800号本塁打を記録。74年に松下電器(現パナソニック)に入社、81年秋に引退。86~91年に同社監督、89~91年まで日本代表コーチも兼任。「オール枚方ボーイズ」の監督も務めた。14年4月に秀岳館監督に就き、16年春から3季連続で甲子園4強。18年3月から県岐阜商監督。