南海、ダイエー、西武、阪神でプレーし、92年には首位打者を獲得した鹿児島城西の佐々木誠監督(54)は、新型コロナウイルス感染拡大のために、出場予定だった今春センバツに続き、今夏の“甲子園凱旋(がいせん)”も果たせなかった。

20日は紅白戦を行うなど、いちるの望みは捨てていなかったが、朗報は届かなかった。夏の甲子園中止の正式発表前の午後5時ごろ、円陣で「目標がなくても、心折れても、もう1回立ち上がって、自分たちがやることを見つめなおして、しっかり伝えなさい」と訓示。特に目標を失った3年生のメンタル面を気遣った。

練習後に同校グラウンドで取材に応じ、「センバツが中止になった思いを夏へ向け、心ひとつにしてやってきたが残念」と唇をかんだ。

センバツ中止が決まった際、「高野連が決めたことなので従うだけ。仕方がない」と、厳しい現実を受け入れた。だがそこから、不安を抱く部員へ「夏はあるよ。想定してしっかり準備してやっていこう」と奮い立たせ、3月27日から全体練習を再開した。そんな矢先、緊急事態宣言発令により、4月21日から6日まで休校、部活動も休止になった。それでもその間、夏開催を信じ、自主トレを精力的に指導した。5月7日からチーム練習を再開、実戦形式の練習を重ねてきたが、夢はまたしても絶たれた。【菊川光一】

▼鹿児島城西 1927年(昭2)設立の私立校。野球部は52年創部。18年にプロ野球ダイエーなどで活躍した佐々木誠監督が就任。昨秋の九州大会で4強入りし、今春のセンバツで春夏通じて初の甲子園出場が決まっていた。主なOBは元ソフトバンク細山田武史、サッカー大迫勇也ら。