日刊スポーツの高校野球担当経験記者が、懐かしい球児たちの現在の姿や当時を振り返る随時連載企画「あの球児は今」。今回は仙台育英(宮城)で14年神宮大会優勝、15年夏の甲子園準Vを果たした元オリックスの佐藤世那投手(23)です。現在はクラブチーム「横浜球友クラブ」に所属。NPB復帰へ、練習を重ねています。

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昨年7月に右肘のトミー・ジョン手術を受けた。高2年秋から感じていた痛みから解放された。「あの時手術を受けたら夏に間に合わなかった。後悔はしてません」とそれ以降はうまく付き合いながら過ごしてきた。

15年ドラフト6位でオリックスに入団も1軍登板がないまま、18年に戦力外通告を受けた。「痛みがあったままだとNPB復帰は厳しいのかなと思った。肘を万全にしてもう1度チャレンジしたい」と決断した。リハビリに毎日通い、スポーツジムで初動負荷のトレーニングなど、地道な練習を続けてきた。新型コロナウイルスによる自粛期間中には、遠投は100メートルを越し「直球も135キロぐらいまで戻ってきた感覚」と順調に回復してきている。

高校時代の投球を取り戻したい。その一心だ。オリックス在籍時はサイドスローに転向。退団後にオーバースローへ戻した。ダイナミックなフォームから繰り出す最速147キロの直球とキレのあるフォークで甲子園を沸かせた右腕。「自分の長所を生かしたい。打者の反応を見ても打ちづらそうだった。プロを目指すにはこっちの方がいい」と力強く語った。

オリックス退団後は独立球団から声をかけられたが、クラブチームでプレーを続ける。「独立リーグの方が設備は整っていて、復帰への近道だとは思った。でも自分で考えて自分を見つめ直したかった」とあえて厳しい道を選んだ。オフ期間にアルバイトをして生計を立てる独立リーガーが多い一方で、K・T・A株式会社に所属し、給与面などのサポートを年間通して受けている。生活面の不安をぬぐい去り、野球だけに集中して取り組めている。

「ラストチャンスだと思ってやっていきたい」と今年に懸ける思いは強い。今秋のトライアウトで結果を残す。そのために2年間もがいてきた。「NPB球団が1番目を引くのはスピード。やるべきことはいっぱいあるけど、150キロを超える。それを最低でもクリアしないといけない」と最速更新を狙う。原点回帰しつつ、さらに進化をする。「セナ」が再びスピードで野球界を魅了するため、必死に腕を振る。【湯本勝大】

◆佐藤世那(さとう・せな)1997年(平9)6月2日生まれ。宮城県仙台市出身。南光台東小2年時から野球を開始。秀光中(宮城)軟式野球部に所属し、U15日本代表としてアジア選手権準V。仙台育英では、3年夏の甲子園で準優勝。同期はロッテ平沢、中日郡司ら。15年ドラフト6位でオリックスに入団。2軍通算32試合で8勝5敗、防御率4・84。181センチ、84キロ。右投げ右打ち。独身。