うだる暑さの甲子園で星稜(石川)の背番号18をつけた寺西成騎投手(3年)が三塁ブルペンで投げていた。履正社(大阪)に大差をつけられた8回だ。甲子園交流試合で出番はなかったが、晴れ舞台に立った。

夏が終わる。「全国高校球児の皆さん、全員が自身の夢をつないでいってほしいです」。夏の甲子園大会歌「栄冠は君に輝く」を作詞した加賀大介さん(73年他界)の長女、新川淑恵さんの高校3年生への思いだ。小学校教師になり、最後は石川・能美市立浜小学校の校長だった。寺西投手はここに通った生徒だった。

コロナ禍で夏の甲子園が中止になった。新川さんは「実は今年の高校3年生は私が退職した年の小学6年生です。浜小学校の学童チームは全国の学童大会で準優勝しました。根上(ねあがり)はすごく強くて。頑張っているのを知っていました」と話す。高校3年生は夢を奪われた。形は違っても病気がもとで足が不自由になり、野球を断念した父と重なる。だから言う。

「その人によって『栄冠』は違うのでしょうね、きっと」

浜小学校には、あまり知られていない、すてきな話がある。7年前、当時の小学6年生が新川校長のもとへ押しかけてきた。「大先輩の松井さんに『浜っ子栄誉賞』をあげたいんです」。松井さん、とは巨人や大リーグで活躍した松井秀喜さんだ。根上で育ち、同校出身だった。13年5月、国民栄誉賞を児童会の生徒たちが大喜び。自発的に、たたえたいと提案してきた。

米国に住む松井さんは多忙の身だ。新川校長が父昌雄さんに相談すると、粋な答えが返ってきた。「秀喜に直接、渡してほしい」。松井さんが帰省した正月、子どもたちは表彰状を手渡した。日米通算507本塁打の原点。ふるさとから送られた「栄冠」はこの上なく温かみにあふれていた。

新川さんは、父が思いを込めた、この歌とともに生きてきた。「自分が年を重ねるにつれてとらえ方は変わりました。働き盛りの頃は『青春の賛歌』が響いて。3番の『感激をまぶたに』は健康であったからこそ見える景色。自分の歩みが成功であれ、失敗であれ、それでいい、そういう応援歌でもあると思います」。

加賀大介さんは浜小学校で子どもの野球を見て歌詞を着想し、図らずも、この校庭で松井さんも寺西投手も育まれた。勝者であれ、敗者であれ、この歌には、いまを生ききろうとする者を包み込むような懐の深さがある。【酒井俊作】