北海が旭川実を1-0で下し、10年ぶり12度目の秋全道制覇を果たした。息詰まる投手戦の中、0-0の8回2死、3番江口聡一郎右翼手(2年)の右越えソロで先制。最速145キロの左腕エース木村大成(2年)が、9回2安打11奪三振で、準決勝に続き2試合連続完封し、虎の子の1点を守り切った。北海は10年ぶり13度目のセンバツ(来年3月19日開幕、甲子園)出場が有力となった。

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秋空に力いっぱい拳を突き上げた。9回2死、木村が最後の打者を二ゴロに打ち取ると、全員がマウンドに駆け寄り、恒例の“1番ポーズ”ではなく、拳を掲げる“グーポーズ”で、喜びを分かち合った。決勝まで計414球を投げ、30回2/3無失点とけん引したエースは「自分の投球より、バックに支えられてここまで来られた。本当にうれしい」と5戦無失策の守備陣に感謝した。

今夏の南北海道大会は、準々決勝の札幌大谷戦の延長10回、自身の制球ミスが原因で2失点しサヨナラ負け。スタンドで応援していた兄広輝さん(創価大3年)は「弟があんなに泣いたのを見たことがなかった」。速さだけでは勝てないと悟った木村は、秋に向け制球力と、打者によって投球テンポを変えるなど考え方を大きく変えた。この日も「体の開きが早かったので2回の終わりでなおした」と冷静にアレンジし3回以降、完全投球で締めた。

1週間500球の球数制限がある中、木村以外の投手陣も踏ん張った。初戦の帯広農戦は吉野龍生、中井侃樹、立花海空(いずれも2年)の無失点継投でスタートした。平川敦監督(49)は「初戦はエースでいきたかったが、球数を考えざるを得なかった」。木村が最初に登板した2回戦旭川大高戦は、6回途中で降雨ノーゲームとなり再試合。出場チームで最も多い“5・5試合”を、投手陣が支え合って乗り切った。

全道大会開幕前、立島達直部長(30)は木村以外の投手陣に「木村1人では勝ち上がれない。お前たちが頑張らなきゃだめなんだ」とハッパを掛けた。全道2試合に登板し4回0/3無失点と粘った左腕中井は「最後に木村が思いきって投げられて良かった」。勝ちきるため、主役も脇役も関係なく、自身の役割に徹した。

春夏通算51度目の聖地で戦う準備が始まる。センバツに向け木村は「全国に出る相手に比べると全然、力が足りない。またみんなで1から上を目指してやっていきたい」。競争を続け、さらにチームに磨きをかける。【永野高輔】

▽北海・吉野投手(全道2試合に登板し4回2/31失点と木村を支える)「自分の投球はふがいないものだったが最後、木村が締めてくれて良かった。春までには、もっと自分も力をつけないと」

▽北海・大津捕手(秋全道1失点の投手陣をで支える好リード)「木村が勝負強く投げてくれた。最終回の勝負だと思っていたら江口が1点取ってくれて、全員で集中してこの1点を守り切るぞと話していた」

▽北海・宮下主将(今秋34打数19安打17打点でチームをけん引)「夏に負けてから成長した姿を見せられた。今日はバッテリー2人が頑張ってくれた。感謝したい」

◆北海と全国大会 甲子園には春夏合計で50度出場し、通算成績は33勝50敗。夏は16年準優勝のほか4強1度、8強が8度など21勝。センバツは準優勝、4強が各1度、8強が2度など12勝。大会名が全国中学野球だった1920年(大9)、北海中時代に最初の北海道代表として出場(1回戦敗退)。初勝利は22年で、1回戦で名古屋商(愛知)を11-3で下した。球場が鳴尾球場から甲子園に変わった24年、開幕戦で静岡中を5-4で下し、夏の甲子園で全国最初の勝利を挙げた。前回出場の17年夏は、2回戦で神戸国際大付(兵庫)に4-5で敗れた。