県岐阜商がサヨナラ負けで、初戦で姿を消した。

両チーム無得点の9回裏1死一、二塁、7回から登板した松野匠馬投手(3年)が投じた球が中前へ跳ね返され、涙をのんだ。祖父、父と3代にわたって甲子園に出場した松野は「3代はうれしかったんですが、悔しかったです。自分の実力がまだまだ足りなかった」と肩を落とした。鍛治舎巧(かじしゃ・たくみ)監督(69)は松野が8回に四死球で満塁のピンチを招いた際に、限界を感じ、交代を考えていたことを明かし「私の采配ミス。一番の反省点です。(控え投手よりも)緊張感の中で、まだ松野の方が一日の長があると思ったが、やっぱり限界だった」と振り返った。

昨年は新型コロナウイルスの影響で、春夏の甲子園が中止。校内でクラスターが発生し、岐阜県の独自大会も辞退せざるを得なかった。無念の中卒業した先輩たちの気持ちを胸に出場した大会だった。主将でプロ注目の高木翔斗捕手(3年)は「本当に悔しい。先輩たちの思いを背負っていたのに、本当に悔しかったです。夏に戻ってきて、自分たちらしい野球で勝ち上がりたい」と誓った。

同校はセンバツで3度の優勝(33、35、40年)を誇る。夏も36年に日本一を手にしたが、全て戦前だ。春の悔しさを糧に、同校にとって戦後初の日本一を勝ち取りにいく。【南谷竜則】

◆鍛治舎監督が完封負け 県岐阜商・鍛治舎監督は前任の秀岳館(熊本)で甲子園に14試合出場。今回が監督通算15試合目だが、完封負けは初めて。