この春、センバツ初戦でひっそりと姿を消した剛腕がいた。大阪桐蔭の初陣。背番号10の関戸康介投手(3年)は3月23日の智弁学園(奈良)戦に4点劣勢の5回から登板した。制球は定まらず、甘くなった球を狙い打たれた。捕手が捕れない暴投が3度、あった。抜け球は、浮足立った心を映しているようだった。

2点差に迫った6回に痛恨の追加点を許して途中降板し、1回1/3を3失点。悔しい32球になった。関戸は「荒れ球をうまく使おうと思いましたが、上半身に力が入ってしまって、下半身に力が入らず暴投につながった。気持ち、技術も修正できませんでした」と言う。甲子園デビューで自己最速154キロの力を示せなかった。

快速球は野球のロマンだ。3月6日、滋賀で練習試合京都外大西戦に登板。6回先頭、2球目は指に引っ掛ける。3球目は球が抜ける。だが直後、外角にズバッと速球でストライク。次の内角145キロでファウル。146キロの内角速球で二ゴロに詰まらせた。目を奪われるような球筋だった。

球は荒れて、捕手は忙しい。だが、時折、見せる、指に掛かった速球の糸を引く軌道、球威は圧倒的な存在感を放っていた。5回9奪三振無失点の好結果も、150キロの球速すらも色あせる豪快さだった。「真っすぐを決めきる制球が課題です。『いい球を投げてやろう』と、気持ちをコントロールできず球に伝わって、抜けたり引っ掛けたりする球が多い」。反省の弁に成長途上ぶりがにじむ。

ひたむきに、いまの道を歩む。「何かを得るためには、何かを失わないといけない」。小学6年生で覚悟した。生まれ育った長崎・佐世保から高知の明徳義塾中へ。「親元を離れて、いろんな…。寂しさもあったけど、自分の夢に向かっていく気持ちが強かったです」。将来の夢は大リーガーで、野茂英雄に憧れる。多感な少年は甘えを断った。

「中学校に行くとき、思い出のモノを持って行かないようにしました。過去を見てしまうと良くない」

右手中指の先にある、黒ずんだマメが意志の強さを物語る。「指の圧を一番、大事にしています」。小柄な178センチでコンプレックスがある。「手が小さいんです。田村がね、めっちゃ手でかくて」。明徳義塾中のころ、当時の同僚で、いまは愛工大名電(愛知)のエース左腕、田村俊介投手(3年)と手を重ねた。長さがまるで違った。それでも武器に変えた。リリースの瞬間、指先から力を伝えきる。剛速球の源だろう。

今春のセンバツは中京大中京(愛知)の畔柳亨丞投手や市和歌山・小園健太投手、天理(奈良)の達孝太投手(いずれも3年)ら右腕エースが躍動した。勝者と敗者を分かつ、明暗があった。関戸は失意の道半ばだが、確かに甲子園の景色を見た。敗戦後「今日から夏を見て、休まずに甲子園に出てきたい」と前を向いた。短すぎた春は夏への長い助走になる。10日開幕の春季大阪府予選で出直す。【酒井俊作】