全49校最後の出場となった浦和学院(埼玉)は初戦敗退となり、同校を30年間率いてきた森士監督(57)の最後の試合となった。同監督は甲子園通算48試合で28勝だった。試合後、「甲子園で1勝するという厳しさを、あらたに思い知らされたような試合でした」と振り返った。

初回に2点を先制した。2死一塁で、4番の吉田瑞樹捕手(3年)の中堅フェンス上段直撃の適時三塁打で1点を先制。さらに2死三塁で藤井一輝外野手(3年)の中前打で2点目を奪った。

先発は、背番号6の内野手兼任となる吉田匠吾投手(3年)。初回に2点を失い同点とされ、3回から継投に入ったが逆転を許した。

2-4で迎えた8回無死三塁で藤井の右犠飛で1点を返し、9回にも2死満塁としたが、吉田瑞が遊ゴロに倒れ、試合終了となった。

雨天順延が続き、県大会決勝からは3週間がたっていた。実戦から離れており「(先攻で)攻めができて流れをつかめたかなというところだったが、投手も公式戦から少し離れている。実戦から離れていることも、守備のリズムが前半なかなか作れなかったところが、(相手に)流れを持っていかれてしまったと思う」と振り返った。

最後となった甲子園については「最高の舞台だなと改めて思った。コロナ禍の中で、まず開催していただけたことに感謝の思いでしかありませんし、いつか、また大観衆が戻ってきた甲子園で高校球児がまたプレーできることを望んで終わっていきたいと思います」と話した。

◆森士(もり・おさむ)1964年(昭39)6月23日、さいたま市生まれ。上尾、東洋大では投手。87年に浦和学院に赴任。投手コーチを経て、91年8月に27歳で監督就任。甲子園春夏通算22度出場し、計49試合で28勝21敗。13年にセンバツ初優勝。16年から早大大学院に入学し、修士を取得。今年4月から副校長に就任。「NPO法人ファイアーレッズメディカルスポーツクラブ」の理事長も務める。家族は夫人と2男。

▽DeNA木塚投手コーチ(96年3月卒の浦和学院OB)「投手として未熟だった自分に一から教えてくれた最大の恩師だと思っています。言葉には表せないくらい感謝しているとともに、野球人として尊敬しています。1試合でも多くユニホーム姿を見たかったのが本音ですが、まずはゆっくり、お身体を休めていただければと思います」

◆しんがり登場校敗退 49代表最後の登場となった浦和学院が初戦敗退(初戦不戦勝の智弁和歌山はまだプレーしていないが記録上は1試合消化済み)。49代表制となった78年以降、組み合わせ抽選時に相手が決まらない「しんがり登場校」はこれで通算11勝31敗1分け。