弘前学院聖愛(青森)の夏が終わった。今春センバツ8強の西日本短大付(福岡)に延長10回タイブレークの末に惜敗。3-3の8回1死走者なし、丸岡侑太郎内野手(3年)の右越え二塁打で得た好機を得点につなげることはできず、10回に決勝点を許した。丸岡は10年間、ともにプレーしてきた芹川丈治投手(3年)と、同校12年ぶりの甲子園勝利をつかむことはできなかった。
◇ ◇ ◇
導かれるように打席が回ってきた。1点ビハインドの延長10回2死一、二塁で丸岡は打席へ向かった。汚名返上のチャンスだった。4回2死で犯した失策が、次打者の先制2ランにつながっていた。「最後は自分が絶対に打って決めてやろう」。高めをたたいたゴロは遊撃手の正面へ。「最後まで何があるかわからない」と奇跡を信じ一塁へ走ったが、歓声で負けを知った。
春までは主将を務めていた。だが、県大会後に原田一範監督(47)から交代を告げられ、2年生の田崎に譲った。情けなさと悔しさがこみ上げ、力不足を痛感した。「いつもでも引きずっていてはダメだ。キャプテンを降りたなら、プレーで引っ張っていこう」と前を向いた。
遊撃手として、青森大会では全5試合無失策。打っては中軸として、打率4割7分4厘と、攻守でチームを引っ張り、「日本一」への挑戦権を得た。その夢は初戦で散った。地方大会含め、この夏たった1つの失策が、悔やんでも悔やみきれない結末へつながった。「結局、肝心なところで結果を出せなくて、逆に足を引っ張ってしまいました」と目に涙をためた。
後悔はもう1つある。10年間、一緒にプレーしてきた芹川を勝たせられなかった。ともに小2から野球を始め、当時から丸岡は内野手、芹川は投手がメイン。守備に就くと、マウンドにはいつも芹川の背中があった。「最後まで(芹川)丈治頼みになってしまったな」。これまでの光景が頭をよぎった。「最後くらいは助けてあげたかったんですけど…」と言葉を詰まらせた。
責任を背負い込んだが、負けの瞬間をベンチから見届けた芹川は言った。「侑太郎が打てないなら仕方ない」。頂点からの景色は見られなくても、一緒に甲子園に立てた。10年間の集大成だ。【木村有優】
○…2年生主将の田崎光太郎は三塁コーチャーとして声をからした。打席に向かう選手にも声をかけた。今年3月に右ひざの前十字靱帯(じんたい)損傷に見舞われ、プレーができなくなった。「『自分に何ができるか』と考えたときにチームをつくることだと思いました」と春が終わってから、主将を担った。最後の夏を終えた3年生からは「お前はまだあるんだから」と背中を押された。「またこの場所に絶対に戻ってきます」。一回りも、二回りも成長した姿で帰ってくる。

