今度こそ、タカタカ旋風を甲子園に-。27日、第84回選抜高校野球大会(3月21日開幕、甲子園)の出場校を決める選考委員会が開かれ、高崎(群馬)が31年ぶり2度目の切符を手にした。故福田赳夫氏、中曽根康弘氏の両元首相を輩出した県内屈指の進学校。境原尚樹監督(48)が在籍した前回のチームは、山際淳司氏の著作「スローカーブを、もう一球」にも描かれたが、甲子園では1回戦敗退。32年越しの思いを胸に、同校の聖地初白星を目指す。

 午後3時30分。羽鳥進一校長の全校放送が、高崎ナインに待ちわびた言葉を告げた。「野球部の、選抜大会出場決定の知らせがありました」。校舎のあちこちから「おめでとう~!!」と歓声が飛んだのは、ほぼ同時のことだった。ユニホームに着替えた部員たちは、照れ笑いを浮かべてグラウンドへ駆けだした。

 31年ぶりの甲子園だ。21世紀枠候補にも挙がったが、関東4強の実績が認められ一般枠での選出。初出場当時、秋季関東大会準Vの快進撃が、スポーツライター山際淳司氏のノンフィクション「スローカーブを、もう一球」に描かれた。7番中堅でレギュラーだった境原監督は言う。「今のチームはあえて当時に似せてるんですよ」。

 本の中の監督は、野球経験ほぼゼロの初心者。境原監督もあえて素人のように振る舞った。練習内容は選手に決めさせ、試合の伝令も生徒任せ。すると、もとが賢い子どもたちだ。「昼休みに練習メニューの話し合いをしてます。集中力を高めるためにノックは10球捕るまで交代しない、とか」。東大志望の金子裕紀主将(2年)が言うように、“考える野球”が自然とチーム力を高めていった。

 本の主人公、エース川端は、超スローカーブを得意とした。慶大志望の現エース島田智史(2年)は、スローカーブこそ投げないが、緩急でかわす頭脳的な投球は通じるものがある。「入学直後に読みました。大会中にネタ大会してリラックスしたり、自分たちと似てる部分があった。甲子園は元首相にも応援に来てほしいです」と笑った。

 だが境原監督には、払拭(ふっしょく)できない苦い思い出もある。初めての甲子園は星稜に1-11で大敗。自分がスクイズのサインを見逃したせいで負けたと、30年間引きずってきた。「あの本は、甲子園出場の成功までしか書いてないんですよね。実際は、その後浮足だって失敗した。次はそうはいかない」。30年分の思いを背負った特別な春。今年のタカタカ物語には、まだ続きがある。【鎌田良美】

 ◆高崎

 1897年(明30)創立の県立校。野球部は翌98年に創部。生徒数は男子のみ961人。甲子園出場は春2度目、夏はなし。主なOBは元首相の福田赳夫、中曽根康弘。所在地は高崎市八千代町2の4の1。羽鳥進一校長。