アストロズ青木宣親外野手が6月11日(日本時間12日)、日米通算2000安打を達成しました。その瞬間には、アストロズの同僚だけでなく、本拠地ヒューストンのファンもスタンディングオベーションで祝福し、「偉業」をたたえました。そんな心温まる光景を見ながら、あらためて思い浮かんだのが、先人イチローらの功績でした。

 2000安打といえば、日本球界では「名球会」への入会資格を得る偉業。プロ野球選手を志した選手が、だれもが目標とする大記録であることに、疑問の余地はありません。その一方で、メジャー球界で「2000」の数字が、日本と同じようにスポーツニュースのトップやスポーツ紙の一面で報じられるわけではありません。

 というのも、過去、日米合算の記録については、これまでイチローが節目の記録に到達するたびに、地元メディアやファンの間で論議を呼んできました。メジャー通算最多記録を持つピート・ローズ氏は「ハイスクールの安打数も数えるのか」と批判的な発言をするなど、記録の解釈に「幅」がありました。実際、2004年5月21日に日米通算2000安打を達成したイチローは、試合後に「日本の記録について、…という部分がありましたから」と、複雑な胸中をのぞかせました。その一方で、イチローの後には、松井稼頭央、松井秀喜が米国内で日米通算2000安打に到達。後に続いた青木にしても、高度な技術で安打を積み重ねてきました。言うまでもなく、野茂をはじめ、数々の好投手が米国で活躍し、日本球界の質の高さを証明してきたことも見逃せません。それらの歴史を経ることで、米国内でも、日本球界での記録を認知する声が浸透してきたのではないでしょうか。

 青木の記録達成後、ヒンチ監督は「脱帽する。米国であろうと、日本であろうと、これだけの記録を達成いるためには多くの時間がかかる。彼のことを誇らしく思う」と、祝福の言葉を贈りました。翌日の試合前にはセレモニーが行われ、ライアン社長が記念品、カウボーイハットを贈呈。アストロズの心遣いには、青木個人はもちろんですが、日本球界に対するリスペクトが含まれていたような気がします。

【四竈衛】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「メジャー徒然日記」)