その名前を久しぶりに目にして、あらためて不思議な縁を感じました。

エンゼルス大谷翔平が、13日(日本時間14日)のレイズ戦で日本人メジャー初のサイクル安打を達成し、大きな注目を浴びました。その際、過去の記録などがひもとかれていましたが、その中に、ジョージ・シスラーの名前がありました。1900年以降「投手として2勝以上してサイクル安打」を達成したのは、シスラー(5勝、サイクル安打2回)以来、というものでした。

シスラーといえば、1915年にセントルイス・ブラウンズ(現カージナルス)でデビューし、俊足巧打の名選手として、ベーブ・ルース(ヤンキース)やタイ・カッブ(タイガース)らとしのぎを削り、一世を風靡(ふうび)したスター選手でした。1922年には打率4割2分、51盗塁をマークしてMVPを獲得。現役15年間で通算2812安打を放ち、1939年には野球殿堂入りを果たしましたが、「あの時」までは、日本はもとより米国内でも、ルースやカッブほど、その名前は認識されていませんでした。

そんなシスラーの功績を再認識させたのが、イチローでした。2004年、シスラーが持つ、シーズン最多257安打を更新。1920年以来、実に84年ぶりの偉業でした。それまでルースの714本塁打、ハンク・アーロンの755本塁打は知られていても「257」の数字に目を向けるファン、メディアは皆無でした。

その一方で、イチローが安打記録を更新した試合には、シスラーの家族がシアトルで観戦。達成直後、イチローが観客席最前列に歩み寄り、帽子を取ってシスラーの長女フランシス・ドラッグルマンさんと握手を交わした光景は、米国ファンの間でも感動を呼びました。

「イチローのおかげで(父)ジョージに、またスポットライトが当たったわけです。イチローのように真摯(しんし)な姿勢で取り組んでいる選手が記録に迫り、彼のようなすばらしい選手が成し遂げたのだから、父もさぞかし喜んでいるでしょう」(フランシスさん)。

2009年には、ミズーリ州セントルイスでオールスターが行われた際、イチローは同地で眠るシスラーの墓前を訪れました。「シスラーさんをちょっと起こしてしまって。お休み中にすいません、という感じでした」。イチローはシスラーが他界した1973年生まれ。記録を超えただけでなく、イチローにとって、シスラーは不思議な縁を感じる特別な存在でした。

今回、1920年以来、98年ぶりにシスラーの功績をひもといたのも、日本人の大谷でした。現役引退後のシスラーは、ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス)のスカウトとして、黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを発掘。人種差別撤廃への門戸を開くことに尽力したことでも知られています。つまり、シスラーの働きが、世界各国から選手が集まる、今のメジャー球界の出発点だと言っても過言ではありません。

イチローに続いて、大谷がシスラーの名前を呼び起こしたことに、あらためてメジャーの歴史と奥深さを見たような気がします。【四竈衛】

(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「四竈衛のメジャー徒然日記」)