プレーバック日刊スポーツ! 過去の7月31日付紙面を振り返ります。2008年の1面(東京版)は、イチローの日米通算3000安打でした。

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<レンジャーズ11-10マリナーズ>◇29日(日本時間30日)◇レンジャーズ・ボールパーク

 ついに、大記録に手が届いた。マリナーズ・イチロー外野手(34)が、日米通算3000安打を達成した。あと「1」として臨んだレンジャース戦の初回、第1打席の初球を左前打。通算2175試合目で大記録に到達した。92年7月12日のプロ初安打以来、日本で1278安打、メジャーで1722安打を積み重ねた。第4打席には3001安打目となる適時中前打を放ち、5打数2安打1打点。今後は、8年連続200安打、さらには張本勲氏が持つ3085安打の日本最多記録、日米通算4000安打と、新たな記録を目指して打ち続ける。

 静かに、歴史を刻んだ。電光掲示板に「3000安打達成」の英文が映し出されると、ようやく気付いたテキサスのファン17618人の拍手が徐々に大きくなり始めた。「何もないと思っていたのですごく戸惑いました」。さりげなくヘルメットを掲げ、控えめに感慨に浸った。

 美しく、豪快に決めるはずだった。試合開始直後の初球。狙っていた。右翼席をめがける一方で、詰まった打球を左前へ落とす。しなやかな体の動きが生む安打も、イチローらしかった。

 イチロー 1球目で決めようと思った。本塁打にすれば1番いいと思ってね。

 92年のプロ初安打から17年。3000安打を真剣に意識し始めたのは、年間210安打を打った翌年の95年だった。3月のオープン戦で東京ドームを訪れた際、最多安打記録保持者の張本氏から声をかけられた。「次に3000安打を打つのは君しかいない。君に抜いてもらいたい」。その言葉は、今も心に残っていた。「張本さんがこの日を想像していたとしたらすごい。さすがだと思います」。

 オリックス時代、ダイエー(現ソフトバンク)王監督と交わした会話も、大きな励みにしてきた。「自分より安打を打ちたいという執念を持っている人はいなかったが、君は僕より強いと思う」。偉大な先人の言葉は、当時は未完成だった向上心を、さらに強くした。

 野球が「国技」と呼ばれた高度経済成長期に、V9巨人の大スターとなったONとは、環境もプレースタイルも違う。デジタル全盛で「軽薄」とも言われる時代に、クールで孤高のイメージのまま、スターダムを駆け上がった。ただ、求めてきたのは記録だけではない。「偽装」や「ニセ物」がはびこる社会の中で異彩を放つほど、本物のプロフェッショナルとして自らを律し、卓越した技術を磨き続けてきた。

 イチロー 210安打を打って給料が10倍になった。あの時から自分が背負っている責任を考えるようになりました。自分の行動や発言によって、大きな影響が出ることを知りましたから。

 だからこそ、3000安打が通過点であることを否定しない。

 イチロー まあ、いいですよね。ペースが。悪い気はしないですよ。

 今後は、8年連続200安打、3085安打などの記録が待ち受ける一方で、年齢に伴う衰えとも戦うことになる。

 イチロー そうならないためにも、抜きながらやらないといけない。抜くと言っても誤解しないでください。計画通りにならなかったら変える。そうしないと前に進むことはできないですから。

 大記録に満足感を覚えながら、先を見据えることも忘れない。達成後の第4打席。いつものように表情ひとつ変えずに、中前へ3001安打目を運んだ。

※記録や表記は当時のもの