「2019 MGM MLB開幕戦」広報事務局は21日、マリナーズ-アスレチックス戦終了後、イチロー外野手が会見を行うと発表した。イチローの過去の語録は以下のとおり。

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◆イチロー語録

「ヒットはスライダーです。少し詰まりましたけど…。やっぱりうれしかったですよ」(92年7月12日=ダイエー戦でプロ初スタメンで初安打)

「イチローって、ヘンな感じですよねえ…。こりゃ困りましたね」(94年3月28日=仰木監督が登録名「イチロー」に変更する意向を示し)

「野球で一生懸命やって少しでも明るい話題を提供できれば」(95年1月23日=阪神・淡路大震災の被災者に義援金を送り)

「震災で傷ついた人に真っ先に伝えたい」(95年9月19日=リーグ優勝)

「僕も本職じゃないですから。気持ちいいのと悪いのといろいろです」(96年7月21日=球宴第2戦で登板も、代打を出され巨人松井との対戦が実現せず)

「自然とガッツポーズが出ました。22年間生きてきましたけども、初めてです。最高というものを通り越したものです」(96年9月23日=地元神戸で2年連続のリーグ優勝)

「自分の中で候補に挙げている球団はいくつかありますよ。シアトルとか。野球以外でリラックスできる環境のある街がいいですね」(98年11月10日=日米野球参戦中に米誌のインタビューに答え、移籍希望球団がマリナーズであることを初めて明かす)

「タイトルを獲得したことに特に感想はないけど、悲しいことではない。3割4分3厘という数字は決して恥ずかしいものではないと思う」(99年10月12日=6年連続首位打者確定)

「ひかれたのは、相性が合うこと。話すリズム、価値観。同じ空間が心地よく感じた。幸せにできるかどうかは分かりませんが、なれるよう努力します」(99年12月5日=弓子夫人を伴い、神戸市内で結婚会見を実施)

「プレーを続けている間はもらう立場ではないと思う。途中で国家から表彰を受けるとなると、モチベーションが下がり、ピークが終わったのではないかと受け取られると、ファンの方々にも申し訳ない」(04年11月8日=2度目の国民栄誉賞辞退。代理人を通じ首相官邸にコメントを伝え)

「倍ぐらいの失敗を重ねないと生まれない。それが打撃ですから。そうやって奥深いものになってくれればいいですね。失敗を繰り返すことが」(05年6月14日=メジャー通算1000安打)

「ボクの野球人生でもっとも屈辱的な日ですね」(06年3月15日=第1回WBC2次リーグ最終戦で韓国に惜敗し)

「今日、負けるのは日本のプロ野球の汚点になるところだった。野球というのは、けんかではないですけど、そんな気持ちだった」(06年3月18日=WBC準決勝で韓国に勝利)

「日本のプロ野球の結果が気になるかもしれない。仲間ができたから」(06年3月20日=キューバを破りWBC初代王者に)

「平均年俸が500万円だとしたら弥生時代からプレーしないと達成できない数字なので、その評価ってすごいと思うんですよ」(07年7月13日=5年9000万ドルで契約を延長)

「92年に初安打を打って、ここまでは別に長いとは思わなかった。ただ、この1週間はすごく長いと感じました」(08年7月29日=日米通算3000安打)

「気持ちよかったです。ほぼ(エクスタシーに)いきかけました」(09年3月23日=韓国を破りWBC連覇を達成)

「自分なりに考え、出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降、僕がいるべきではない、ということでした。そして僕自身も環境を変えて刺激を求めたいという強い思いが芽生えました。そうであるならば、出来るだけ早くチームを去ることがチームにとっても僕にとっても良いことなのでは、という決断でした」(12年7月23日=マリナーズからヤンキースに移籍)

「今日から162試合やれと言われても、僕にはできる」(14年9月28日=ヤンキース全日程終了。FAをへての来季現役続行に意欲)

「これからも、応援よろしくお願いします…とは僕は絶対言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはいけないことを続けていく。ということをお約束します」「(契約がなかなか決まらず)犬の気持ちは聞いたことがないけど、ペットショップで並んでいるかわいい子たちがどんどん売れていって、ちょっと大きく成長した犬は残っていく、みたいな状態ですかね。それでも飼ってくれる人がいたら、忠誠を尽くすと。そんな感じでしょうか」(15年1月29日=マーリンズ入団会見)

「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にはある。これからもそれをクリアしていきたいという思いはあります」(16年6月15日=日米通算4257安打に到達。ピート・ローズの通算4256安打抜く)

「3000という数字よりも、僕が何かをすることで他人が喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事なものだということを再認識した瞬間でした」(16年8月7日=史上30人目のメジャー通算3000安打。マーリンズ選手たちが三塁に駆け寄って祝福)

「抽象的な表現ですが、おかしなことはできないと思いますね。王監督の記録とか王監督と何かを比べてもらえることで、そういう感情が僕の中で生まれる」(17年9月6日=日米通算で王貞治の通算5862塁打を抜く5863塁打)

「当たり前のように結果を出して、当たり前のようにここにいる状態をつくりたかった。実際はならず、大変苦しんだ。キャンプの結果を踏まえ、ここにいることはありえないこと。日本人でいることで、すでに勝ち組なんだなと。僕にとっては大きなギフト。1週間後は振り返ることになる。だから一瞬一瞬を刻み込みたい」(19年3月16日=来日後の会見で)