イチローが海を渡った01年から取材を続けてきた四竈衛記者(53)が、希代のヒットマンの長い長い歩みを振り返った。

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イチローの引退を初めて具体的にイメージしたのは、昨年5月3日だった。選手登録から外れ、会長付特別補佐に就任した際の会見で、イチローの口から「辞める」という言葉が突いて出た。「この日が来る時は、僕は辞める時だと思っていました」。その言葉に、正直、心がざわついた。その後も、選手復帰を目指し、ユニホーム姿で練習を続け、今回、日本で公式戦の舞台に戻った。だが、昨年の時点でイチロー自身は、いつか「この日」が来ることを、かなり身近に感じていたに違いない。

「最低50歳まで現役」と公言してきた一方で、イチローの内なる変化は、年を重ねるたびに随所に表れていた。2015年、マーリンズに移籍した際、定位置争いでライバルとなるはずの若い選手に囲まれて「かわいい」と表現した。かつて年間200本安打に近づくたびにまとっていた、周囲を寄せ付けない殺気だったオーラは消えていた。毎日、自宅から球場へ来る時間を「とにかくハッピー」に感じるようになった。記録の重圧に「吐きそうになった」こともある孤高の男が、節目の記録を超えるたびに、周囲が喜ぶ姿に感激し、涙腺も緩くなったように映った。

それでも、イチローが前へ進むことをやめることはなかった。昨年、登録から外れた際には「野球の研究者でいたい」と、年齢を重ねることへ挑戦する姿勢を見せた。その言葉通り、シーズン終了後、2日後には練習を始め、全体練習がない日でも球場へ愛車を走らせた。今キャンプに新打撃フォームで挑んだのも、研究を重ねた末の判断だったに違いない。

だが、イメージと結果は一致しなくなっていた。今オープン戦ではわずか2安打。凡退するたびに、首をかしげ、表情の険しさは増した。今回、日本でプレーできることを「大変なギフト」と言い表した。これまで自らの居場所を自力で奪い、つかみ取ってきた天才が、贈り物を受け取る立場に感謝の意を示した。「一瞬、一瞬を刻み込みたい」との言葉には、ラストシーンを迎える覚悟が見え隠れした。

第一線を退くイチローが、今後、どこへ向かうのかは分からない。ただ、これまでイチローであり続けた労力、重圧は他人には計り知れない。しばし「鈴木一朗」に戻って穏やかな日々を過ごしてほしい一方で、いつの日か、またイチローとしてグラウンドに戻って来る日を心待ちにしたい。【MLB担当=四竈衛】