日刊スポーツは「素顔の元イチロー」と題し、引退発表したマリナーズ・イチロー外野手(45)の緊急連載を開始します。筆者はオリックス時代の担当で長く取材を続ける高原寿夫編集委員と、大リーグで取材を続ける四竃衛記者。取材などを通じて知ったイチローの人間性を伝えます。

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1時間23分にもわたる衝撃の引退表明会見が行われた21日深夜。話を聞いている中で興味深かったのは、これまでの選手生活で得たものは? と聞かれた時の答えだった。しばらく考え、イチローが発したコメントは「ま、こんなものかなあという感覚ですよね…」というものだ。

数々の偉業を達成してきた男にしては、あまりにも“ふわり”としている。もっとできたかもしれない。でも、なかなか難しかったかな。そんな感覚で、自分自身をどこか遠いところから傍観しているようなムードが、実はイチローにはある。そこには「運命論者」としての部分も影響しているのでは、と思う。

イチローから連絡してくることはめったになかった。だが、その電話は非通知設定でかかってきた。広島カープ担当だった00年11月末。私事で恐縮だがその15日に私の妻が35歳の若さで急死していた。イチローは大阪で行った通夜に姿を見せた。当時はポスティングシステムで権利を得たマリナーズと交渉していた日々だ。それが終わって神戸市内のホテルから足を運んだ。

それから約10日後だったと思う。広島に戻っていた私の携帯電話が鳴った。誰だろうと思うとイチローである。

「めずらしい。先日はありがとう。どうしたの?」と聞くと言いにくそうに「いや、少しは元気になったかな、と思って…」と言う。

「そんなにすぐには元気にはならんで」と返すと「そうだよね」と言って、突然、こんな趣旨の話を始めた。

自分の知り合いの娘さんが不慮の死を遂げた。その人と話したときに「これが娘の運命だったんだと思って受け入れる」と言っていた。自分もそうだと思う。ボクからこんなことを言うのもおかしいけれど、そういう風に考えるしかないと思うんです。

ありがたかったが当時はこちらは情緒不安定。10歳下の人間にそんなことを言われ、少し嫌みを言いたくなった。

「そうやな。イチローが大リーグに挑戦するのも運命だったかもしれん。行ってみて失敗するかもしれんし」

するとイチローはこう即答した。「そうだよ。失敗するかもしれない。それが運命なら、仕方ない。そのときは、またやり直します」。

日本で9年、大リーグではその倍以上の19年の現役生活を終えた今、あの言葉がよみがえる。運命はイチローに味方したのか。そう聞けば彼はまた言うかもしれない。

「ま、こんなもんかなあ」。【高原寿夫】

◆高原寿夫(たかはら・ひさお)1963年(昭38)7月、大阪府生まれ。88年、日刊スポーツ新聞社入社。芸能社会担当を経て94年から野球記者に。いきなりイチローの210安打を取材。オリックス担当だった96、97年の2年間を中心に25年にわたり、イチローの取材を続ける。大阪本社編集委員。