日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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DeNA筒香がレイズ移籍で合意したことを聞いたのは、ニューヨークに滞在した先週末のことだ。所属球団が移籍を認めるポスティングシステム(入札制度=PS)を利用してのメジャー行きになる。

日本人選手のメジャー挑戦は常態化しているし、この時期の米国内のニュースも、NBA、NFL、NHLが中心だから、大きな話題にはなっていない。ただニューヨークでは記憶に鮮明な投手がいる。

ロッテから97年にヤンキースに移籍した伊良部秀輝だ。NPBで最多勝、最優秀防御率、最多奪三振のタイトル獲得。FAも、PSも存在しない時代だったが、彼の米大移籍がPS導入の引き金になったのだ。

ヤンチャな行動が目立った。ファンから浴びた「Boo~!」のバッシングに無言の抵抗か、風船ガムを膨らませた。スタインブレナー・オーナーからも「太ったヒキガエル」と批判されるほどで、ヒール役のイメージだった。

現場記者には悪態をつき、目の前で差し出した名刺を破り捨てられたものもいた。渡米前に母校尽誠学園(香川)に在学した際の寮長で、コーチの松井義輝から「お前(寺尾)に恥はかかせられないから」と連絡が入った。

本人に持参してほしいと気遣われたのは、野球部部員が、大リーガーになった先輩に寄せ書きをした1枚の色紙だ。ヤンキースタジアムのロッカーで手渡したときはうれしそうだった。「わざわざすみません」。あの“凶暴”な男が笑ったのだ。

しかし取材は気が重かった。試合後は「ぼくは神様と話しができるんだよね」と切り出した。あるときは「ミケランジェロの気持ちってわかる?」といってくる。理論派というべきかこれが真剣だから笑えなかった。

ロッテに在籍した96年オフ、ヤンキース行きを主張する。いったんは保有権が提携球団パドレスに譲渡されるが、ヤンキースに固執した本人の意向で三角トレードが成立。この移籍にメジャーが選手獲得の機会均等を唱えたことが、PS導入の契機になった。

日本復帰後の伊良部は星野阪神で03年に優勝に貢献。ユニホームを脱いだ後は事業展開がうまくいかなかったようだ。11年ロサンゼルスの自宅で首つり自殺をはかって、42年間の人生に幕を閉じる。奇才の生涯は短命だったが、良しあしはともかくPSは残った。(敬称略)