名将トミー・ラソーダ氏が93歳でこの世を去った。ドジャースを率いて地区優勝8回、リーグ優勝4回、ワールドシリーズ優勝2回。95年に野茂英雄がド軍入りした際の監督で、多くの野球ファンから愛された。野茂がメジャー初勝利を挙げた試合から、同氏を振り返ります。

◇  ◇  ◇  

【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)6月2日(日本時間3日)】 ドジャース野茂英雄投手(26)が大リーグの歴史に自らの名を刻み込んだ。7度目の登板となったメッツ戦で初勝利をマーク。日本人ではサンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅則以来30年ぶりの快挙だ。完投こそ逃したものの、8回0/3を123球、2安打1失点の堂々たる内容。奪三振55個は依然ナ・リーグのトップで、米オールスター出場の可能性も出てきた。

野茂が7度目の登板でつかんだ初勝利は、67歳の老将・ラソーダ監督以下ドジャースナイン全員がもり立ててのものだった。「きょうはとにかく勝たせてやりたかった」。ラソーダ監督が監督室の専用イスから立ち上がり、上機嫌で話し始めた。「これまでいい投球をしても四球が多く、きょうは何とかしたかった。だから9回に四球を出したところで代えた。すごいプレッシャーの中でよくやっているよ」。最終回、先頭打者に四球を与えた場面での降板命令。2安打1失点の投手に、日本では考えられないスイッチだが、それも初勝利を思いやってのものだった。

野茂はマウンドを降りるとベンチに座り、緊張の面持ちで最後の瞬間を待つ。そんな野茂をリラックスさせようと大の仲良しのバルデス投手が横に寄り添う。「おい、もう胸はこんな具合か」。野茂の左胸に手を当て、高鳴りを表すようなしぐさをする。「もう勝ちは決まっているさ」と付け加えた。9回表2死一、二塁。その直後、二塁手デシールズが一、二塁間を襲った当たりを好捕して初白星が飛び込んできた。

野茂は三振6が示すように決して好調とはいえなかった。その分打たせて取る投球で、課題といわれた四球も3。野手陣には守りやすかったようだ。攻守にわたり支えたのが5月中旬に3Aから昇格したばかりの捕手プリンスだ。左手親指付け根靱帯(じんたい)の損傷で欠場中の4番兼正捕手のピアザに代わってマスクをかぶった。野茂とのコンビはまだ2試合目だが、この日はテンポのいいリードでもり立てる。打っても2回裏、同点二塁打を放った。28日の初コンビ時は、試合前、野茂専属の奥村通訳を交えて、入念なミーティングを行うなど縁の下の力持ちとなった。

決勝アーチを放った4番のカルロスは、野茂が渡米した当時からの良き理解者の一人だった。92年のリーグ新人王で「ノモがメジャーに挑戦してきたのは、立派なことだと思う」と語っていたが、その挑戦が間違いでなかったとでもいうように、バットで強力援護した。「彼は全員から三振を取らなくても勝てることが分かったはずだ。自分自身のことより、チームの勝利を優先した」と分析した。

「ノモは今までに2、3試合は勝っていてもおかしくない投球をしてきた。きょうはとてもハッピーだ。将来のオールスター候補に間違いない。新人王? こういう投球をしていたらチャンスはあるかもしれないよ」。ラソーダ監督が言う。野茂の初勝利で先発スタッフ5人全員に白星がついた。チームは現在、16勝19敗でナ・リーグ西地区3位の位置にいる。しかし、この日の野茂勝利へ一丸となった1勝が、浮上への起爆剤になるかもしれない。(1995年6月4日付紙面から)