ドジャースの元監督で殿堂入りしたトミー・ラソーダさんが、7日(日本時間8日)に心臓発作のため93歳で死去した。球団が8日(同9日)、発表した。心臓の病気で昨年11月からロサンゼルス近郊の病院に入院し、年明けに退院したばかりだった。野茂英雄氏(52)がメジャーデビューした当時に監督として後ろ盾となり、球団だけでなく球界に大きな影響を与えたレジェンドだった。

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日本人メジャーのパイオニアとして野茂氏がメジャーのマウンドに立った95年、その挑戦を支えた偉大な監督だった。「私にはドジャーブルーの血が流れている」が口癖で、野茂氏に「その言葉を覚えてくれ」と英語の言い回しを教える姿は、今もYouTubeの動画に残っている。

ラソーダさんは76年途中にド軍監督に就任し、ワールドシリーズを2シーズン制覇。野茂氏デビュー時には20年目を迎えた名将だったが誰にでも気さくに接し、野茂氏を「息子」と呼んでもり立てた。野茂氏が独特のトルネード投法で現地のファンを熱狂させ「ノモマニア」現象を起こすと「彼はみんなが見たがる、ユニークで優れた投手。日本から海を渡り、ファンに興奮をもたらした」と誇らしげに語っていた。

野茂氏2年目の96年7月に体調を崩したため監督を勇退したが、ド軍フロントでチーム運営にかかわり、球団と球界の象徴となった。ド軍のキャンプ地がフロリダ州ベロビーチにあった頃、広いキャンプ施設をカートで動き回る姿があった。選手やファンと気さくに言葉を交わし、多くの人々に慕われた。野茂氏は突然の訃報に球団アドバイザーを務めるパドレスを通じ「元気で退院されたと聞いていたので、すごいショックです。感謝しても感謝しきれない方です」と追悼のコメントを発表した。

常に野球のことを考え、00年シドニー五輪では米国代表監督に就任。マイナーリーグの選手で編成されたチームを率い、金メダルに輝いた。長嶋茂雄さん、故星野仙一さんら日本球界関係者とも親交が深く、CMにも出演した。01年には近鉄のスペシャルアドバイザーに就任。08年には日米の野球交流に貢献したとして、旭日小綬章が贈られた。

現役時代は左腕投手として3年間プレーし、通算26試合で0勝4敗1セーブ、防御率6・48。監督としては22年間で通算1599勝1439敗をマークし、97年に殿堂入りを果たした。

▽マンフレッド・コミッショナー 歴代最高の監督の1人。情熱、成功、カリスマ性、笑いのセンスでもって世界中で有名になり、野球を発展させてくれた。