マリナーズ・イチロー外野手が1000本安打を達成したのは1999年4月20日の日本ハム戦(東京ドーム)。通算757試合目での到達はプロ野球史上最速となった。その快挙を伝える日刊スポーツ紙面です。(1999年4月21日付日刊スポーツ紙面)

 イチローにまた勲章が加わった。オリックス・イチロー外野手(25)は20日、東京ドームで行われた日本ハム戦で通算1000本安打を達成した。通算757試合目での到達はブーマーが持つ記録を抜いてプロ野球史上最速ペースでの達成となった。日本ハム先発金村の開幕3試合連続完封の快挙を打ち砕くひと振りに東京ドームは沸いた。

 イチローのバットが美しい弧を描く。9回無死一塁。低めの難しいボールをとらえた打球はライナーで右中間スタンドに吸い込まれた。今季3号を東京ドーム2万人の観衆が大歓声で祝福する。史上最速の757試合で1000本安打が達成された瞬間だった。

 いつものように淡々とダイヤモンドを1周する。敵地にもかかわらず東京ドームのビジョンには真っ赤な画面に白く「祝イチロー選手1000本安打達成」の文字が映される。ホームベースを踏んだ後、花束を渡され初めて笑顔を見せた。

 「シュートかチェンジアップかフォークかよく分からないけれど、変化球でした。(最速は)どんな感じと言われても……。速いですね。この一瞬を楽しみにしている人に喜んでもらったら、それで良かったと思います」。

 興奮していた。球界一冷静な男でも…。燃える材料はあった。試合は0-10のワンサイド。だが日本ハム先発の金村には開幕3試合連続という史上初の記録がかかっていた。その夢まであと1イニング。そこで燃えないわけはなかった。「ああいう(大差のついた)集中しにくい場面で集中できたことは評価したい」。イチローならではの表現で第4打席をそう振り返った。

 5連敗で渋い表情の仰木監督も愛弟子の活躍には感心した。「ホームランで決めたところがすごい。3連続シャットアウトを阻止したのもすごい」。

 野球人イチローの育ての親である仰木監督が絶賛すれば、ここまで二人三脚で野球人生を歩んできたチチローこと鈴木宣之さんも至福の時を三塁側スタンドで味わった。「やった。バンザイ。うわあ、ホームランで決めた」。打った直後からスタンドのオリックスファンから握手攻めに遭った。1000本安打を達成したバットは愛知県西春日井郡のイチロー記念館に飾られる。

 「でもあのボールは戻ってこないでしょうね。ちょっぴり複雑です。欲しいなあ」。そんなチチローの願いがかなう。ボールを拾った埼玉・朝霞市在住の塩沢広基さん(22=大学生)は「イチロー選手にとっても大切なボールでしょうから」と、係員に託した。球場事務所でサイン入りボールと交換してもらい満足そうだった。

 バスへ向かう帰り道、イチローはオリックスの試合を欠かさず見に来るという落語家の林家ペーにせがまれ、林家が着ているシャツにサインをした。その後、打撃について質問されポツリと漏らした。「打てば打つほど、分かってくればくるほど難しくなる」。25歳で名球会資格である2000本安打の折り返し点に到達した。それでも野球人イチローの目標は、奥が深い。

 ★マリナーズのケン・グリフィーJr.(29=今春、イチローとキャンプ体験)

 おめでとう、イチロー。キャンプでイチローの打撃フォームをしっかり見せてもらったけど、あの揺らすフォームのわりにポイントが前すぎず、後ろすぎず、キッチリ中心線を保って打っていたのには感心したよ。お世辞抜きでこの打ち方ならメジャーでも絶対通用すると思ったね。唯一君の前に立ちはだかるものはほかならぬスペアリブだよ。(キャンプでリブを食べて体調をこわしたから)。君は今後もドンドン数字を伸ばす才能があるし、歴史を刻む男になるだろう。リブさえ食べなければね、ハハハ。とにかく君のすごい記録達成に敬意を表したい。

 ★ブーマー・ウェルズ内野手(1983年阪急入団。89年のオリックス時代に当時最短の1000本安打達成。92年はダイエーでプレー)

 初めてルーキーの彼を見た時が、衝撃的だった。グラウンドでジョギングをしていた時、彼の打撃練習が目に飛び込んできた。思わず走るのをやめてしまい、そのフォームにクギづけになってしまった。そして井箟(いのう)さん(球団代表)たちに「次のスーパースターが出てきたじゃないか!」と言ったものだった。体力面でもう少し強くなれば3冠王を狙えるよ。

 今、エージェントの仕事をしているが、本人さえ望めば大リーグのチームに紹介したい。興味を示しているチームもいくつか知っているが、どの球団かは言えないよ(笑い)。彼ならメジャーで通用する。自信を持って断言できるよ。(米ジョージア州の自宅で)

 ◇1000安打まで◇

 ◆初安打

 1年目、1992年(平4)の開幕からファームでは不動のレギュラー。打率4割前後をマークし7月には1軍に初昇格。7月11日のダイエー17回戦(平和台)で途中出場。翌12日の18回戦では9番右翼で初スタメン。第1打席は投直に倒れたが、第2打席でダイエー先発の木村から右前打を放っている。これが最速1000本安打への第1歩となった。

 ◆野茂から1号

 イチローは昨年まで通算85本塁打を放っている。だが鈴木一朗時代は非力なイメージが強かった。プロ初本塁打は2年目の93年6月12日の近鉄8回戦(長岡)で野茂から打っている。ちなみにこれが通算27安打目だった。

 ◆100&200安打

 イチローに改名した初年度の94年5月31日の日本ハム10回戦(姫路)で通算100本安打を記録している。大フィーバーの幕開けだった。200本安打は同年8月24日のロッテ23回戦(富山市民)の第1打席で中前二塁打を放ち達成している。改名までの2年間で36安打しか放っていない選手が驚異的な進歩のペースだ。

 ◆300&400安打

 阪神・淡路大震災があった95年は「がんばろう神戸」を合言葉にプレー。6月7日の日本ハム9回戦(東京ドーム)の第1打席で中越え二塁打を放ち300本。9月5日の西武21回戦(神戸)では第3打席に中前安打を放ち400本まで駆け上った。

 ◆500本もフィーバー

 96年6月19日の近鉄12回戦(藤井寺)では500本安打を記録。出場403試合目の快挙だった。これは日本人選手では別当薫(毎日)の386試合に次ぐ史上2位のスピード。長嶋茂雄(現巨人監督)の418試合を上回った。「長嶋監督の記録を抜いて何とも言えない感じです。過信せず自信にしたい。ボールは大事に取っておきます」と話した。

 ◆600&700安打

 同年9月18日ダイエー26回戦(福岡ドーム)の第5打席で600本安打を記録。700本は、連続打席無三振の日本記録まであと6打席に迫った97年6月21日西武9回戦(札幌)の4打席目にマーク。

 ◆800&900安打

 97年10月9日ダイエー戦(神戸)の第1打席で800本安打をマークし、6年目で仰木監督の通算安打に並ぶ。900本は、98年7月4日近鉄12回戦(神戸)の第3打席に高村から記録。

 ◆データセンター

 ▼イチローが、プロ野球194人目の通算1000本安打を達成した。イチローの1000安打を見ると、内野安打が164本あり、「俊足」が最速ペースをアシストした。また、20日現在のイチローの通算打率は3割4分9厘。1000安打達成試合時の打率としては、58年与那嶺(巨人)の3割3分6厘を1分3厘も上回る最高打率だ。イチローは1、2年目の出場試合が少ないため、到達の年齢は、61年榎本(大毎)の24歳9カ月、69年土井(近鉄)の25歳4カ月に次ぎ、60年豊田(西鉄)の25歳5カ月と並ぶ3位タイになる。

 ◇とっておきメモ◇

 自分の夢にウソはつけない。イチローのシンの強さを、あらためて感じる。質問にメジャーのメの字が入るだけで「それは答えにくいなあ……」と頭を抱えてしまう。3月のマリナーズのピオリアキャンプ留学から帰国してからは、特に言葉を選んでいるようだ。日本のファンの期待を知っている。メジャー挑戦は、そのまま日本やオリックスを「見捨てた」とも受け止められてしまう。とはいえ、あこがれの大リーグのことに「知りません」などとむげには答えない。考えた末に必ず「いつかは行きます」というセリフで締める。

 高卒8年目で名球会メンバー資格の2000本安打への折り返し点に到達した。今のペースなら33歳で資格を得る。だがそれまで日本でプレーしているかどうか……。葛藤(かっとう)に苦しみながら、思う道を突き進むイチローの姿を、これからも見続けていたい。【町田達彦】