米大リーグの新人ドラフト会議2日目が10日(日本時間11日)ニュージャージー州セコーカスで行われ、駒大苫小牧(北海道)時代の05年夏の甲子園優勝、06年準優勝メンバーで楽天田中将大投手(20)とチームメートだった鷲谷修也外野手(20=デザート短大)が、ナショナルズから14巡目(全体412番目)指名を受けた。入団する意向で契約合意後はマイナーリーグに合流する。楽天田中は11日の中日戦(Kスタ宮城)で7回無失点の好投で今季8勝目を挙げ、鷲谷の指名を祝福した。

 鷲谷に吉報が届いたのは、米カリフォルニア州インディオのホームステイ先だった。ナショナルズ14巡目指名に「10位以内の思いもあったけど、30人指名している中で外野手は2人。期待は大きいのかなと思ったし、ホッとしました」と感想を口にした。楽天田中と甲子園を沸かせた駒大苫小牧のVメンバーに、米球界での道が開けた。

 大リーグのドラフトでは02年にロッキーズから坂本充外野手(九産大九州-アリゾナ・ウエスタン短大)が24巡目(全体の711番目)指名を受け契約した例はあるが、日本人としては極めて異例の“上位”指名。「契約することは決めています」と入団の意思を固め、今週末にも契約合意の予定。ナショナルズ傘下のマイナー1Aかルーキーリーグからスタートし、1Aなら早ければ今月末からチームに合流する予定だ。

 鷲谷は高校卒業後、日本の志望大学の受験に失敗したため、07年にカリフォルニア州デザート短大へ入学。最初は外資系の商社マンを目指し、語学、金融関係を学ぶためだった。しかし、地域の大学リーグで活躍していた姿がスカウトの目に留まり、4球団から契約金の提示を受けた。昨年のドラフトでもナショナルズから42巡目で指名を受けていたが、大学残留を優先させ断っていた。

 08年に一時故郷北海道に戻り、複数の関係者からメジャー挑戦の激励を受けたことで、少しずつ野球の情熱が再燃。「いつかは将大(田中)と勝負したい」という夢にかわった。「甘い世界ではないけど、ナショナルズもずっと見てくれて恩返しがしたかった。別の山に登ろうかな」。4年制の大学に編入するプランも取りやめ、商社マンになる目標を変更。再びドラフト指名を待っていた。

 駒大苫小牧2年生だった05年夏の甲子園は、背番号15で活躍し、大阪桐蔭戦では辻内(現巨人)から先制打を放つなど優勝メンバーとなった。06年夏は、背番号9で3回戦の青森山田戦で本塁打を放つなど準優勝に貢献。マウンドのエース田中を好守で援護してきた。南北海道大会決勝では2打席連続本塁打も記録。俊足にパンチ力を秘めた打者だった。「パワーもレベルアップしたいけど、アメリカ人と互角には難しい。それより自分の生きる道のスピードを生かしたい」と意欲的に話した。

 駒大苫小牧時代の監督で恩師の香田誉士史氏(現鶴見大コーチ)とは渡米後もメールで連絡を続け、指名の報告も行った。同期生の田中の日本球界での活躍も刺激のひとつだ。「話す機会あれば?

 これからが勝負だから、と言いたいですね。対戦?

 まだまだですよ」とはにかんだが、夢のメジャー昇格へ「2年半で上がろうと目標に立てました」とキッパリ。ドラフト指名を受け、メジャー昇格すれば日本人初。新たな挑戦が始まった。