東北のファンの前で、大記録を達成した。楽天松井稼頭央外野手(39)がソフトバンク12回戦で日本通算2000安打を記録した。残り1本と王手をかけて迎えた1回に、中前安打を放った。09年には日米通算2000安打を達成し、名球会入り。日米を経験して、日本通算2000安打は元DeNA中村、ラミレスに次ぎ史上3人目。スイッチヒッターでは史上2人目の快挙となった。

 一塁上で浮かべたのは、重圧から解放された笑みだった。松井稼は、ソフトバンク松田、楽天嶋から花束を渡される。日本2000安打のボードも加わると、大歓声に両手を上げて応えた。「笑顔は安堵(あんど)ですよ。ヒットのランプがつけば十分」と振り返った。

 第1打席で決めた。王手をかけて迎えた1回。外角低め、121キロのスライダーをすくい上げた。フラフラッと上がった打球は中前にポトリと落ちた。「(野手の)追い方を見たら落ちたなと」と笑った。プロ3年目から取り組んだ左打席で生まれた安打。テキサスヒットでも、快挙の瞬間に喜びがにじんだ。

 日本に戻り、5年。衰えが転機になった。「試合に出るなら、新しいところに挑戦するしかなかった」とプロ22年目の今季、外野手への正式転向を決断。副産物は足に出た。守備の負担が少なくなり、盗塁数は昨年の9個を早くも上回った。「僕は盗塁だったり、走ることで打撃につなげられる」。走れば、打撃にリズムが生まれる。プロ3年目から肉体を見る宮本英治トレーナー(57)も「もし野球をやっていなかったら、短距離走やレスリング、瞬発力系の種目で金メダリストになれた」と話す筋力はピークを過ぎたといえ、トップクラスのままだ。

 挑戦を続けるベテランは楽天も変えた。象徴が菓子だ。11年に加入後、ロッカールームにはあめなどを常備させた。新興球団には体調管理のノウハウが足りなかった。「選手が戦いやすい環境をつくってくれ」と交渉、ファンサービスも変えた。プレゼントの配布や客席の改善。立花陽三社長(44)は「1試合平均6000人は動員が伸びた。稼頭央はゆくゆくは指導者になるべき存在。球団もそのつもりで考えている」と監督手形も用意している。

 試合後、「積み重ねて、次の目標を達成したい」と日米通算3000安打にも目を向けた。2000本という数字は通過点。自らを変え、周囲を変える歩みは止まらない。【島根純】

 ▼松井稼がソフトバンク12回戦の1回、中田から中前打を放って、プロ野球46人目の通算2000安打を達成した。初安打は西武時代の95年4月9日の日本ハム3回戦(西武)で芝草から。46人の内訳は右打ち25人、左打ち19人で、両打ちでは柴田(巨人)に次いで2人目になる。大リーグで615安打し、アストロズ時代の09年8月15日に日米通算2000安打を記録。日米通算を達成後に日本2000安打はラミレス(DeNA=米86本、日2017本)中村(DeNA=米5本、日2101本)に次いで3人目。

 ▼出場1742試合は、スピード6位。11年に記録した1500安打は最速の1233試合で到達も、そこから500本打つのに509試合かかって6位にダウンした。それでも実働14年で達成は13年ラミレスの13年に次ぎ、68年榎本(東京)71年長嶋(巨人)72年張本(東映)と並び日本人選手では最も早い。安打別試合数は0本487試合、1本701試合、2本381試合、3本156試合、4本15試合、5本2試合。猛打賞が歴代7位の173度と固め打ちが得意で、2000安打達成時の猛打賞は川上(巨人)の170度を上回り最も多い。