巨人村田修一内野手(34)が、決勝弾を含む2発で球団通算1万試合に花を添えた。2点リードの5回に右翼に7号ソロを運び、1点を追う7回1死一塁には逆転の8号2ラン。今季、不振とケガに苦しんだ選手会長が、今季初の1試合2本塁打で、メモリアルデーの勝利をたぐり寄せた。チームは首位攻防戦に連勝し、貯金5で2位阪神とは1・5差。一気に混戦ムードから抜け出す。

 ヒーローインタビューに呼ばれた村田は、先輩たちが1つ1つ積み重ねた重みを感じながら、歴史的な1勝に敬意を表した。「1万試合という記念すべき試合で、こういう活躍ができて光栄です」。球団創設81年目でたどり着いた通算1万試合の軌跡を選手会長が、今季初の1試合2発と白星で彩った。

 らしさ全開だった。1本目は2点リードの5回、2ボールから代名詞と言える右翼席に7号ソロ。2本目は1点を追う7回1死一塁、1ボールからのスライダーを左翼席へ運んだ。「ストライクがきたら、積極的に」とともにファーストストライクを強振。“男・村田”らしく、潔く、一振りで勝負を決めた。

 踏まれても、踏まれても、立ち上がる姿は幾多の苦難を乗り越え、81年目を迎えたチームと重なった。今季は中軸として期待されながら、ケガや不振に苦しみ、スタメン落ちも経験。ケガから復帰後の6月24日のDeNA戦では左ふくらはぎに打球が直撃。出場を直訴したが、周囲に説得され、途中交代した。

 村田 俺は、大丈夫だからいけると言った。試合に出たい、と。その時、思ったよ。成績が悪くても、俺の心はまだ折れてないから大丈夫だと。もし、心が折れたら? その時はやめる時だと思ってる。

 折れそうになっても、折れなかった。選手会長として、主力として、体は自然とグラウンドに向かった。野球人生最大とも言える逆境に立たされても、男の心は強く、たくましかった。

 今季、罵声を浴びることの多かった球場からクラブハウスへの帰り道。無数の村田コールに迎えられ、ぺこりと頭を下げた。「チーム、ファンの方に迷惑をかけてばかり。ここから混戦を抜け出せるように、全力でバットを振っていきます」。男はそう誓って、1万1試合目に闘志を込めた。【久保賢吾】

 ▼チーム通算1万試合=巨人 5日のヤクルト15回戦(神宮)で記録。初試合は36年7月1日名古屋戦(戸塚=●8-9)で、通算成績は5689勝3999敗312分け。1万試合到達は7月3日阪神、同13日オリックス、同21日中日に次いで4球団目。プロ野球公式戦は36年から始まったが、巨人は米国遠征のため参加が7月1日と遅れ、36年の試合数が3球団(神46、オ48、中42)より少ない34試合。他に日程打ち切りや引き分け再試合の関係で4番目となった。