労組プロ野球選手会の松原徹事務局長が亡くなっていたことが21日、分かった。58歳だった。最近は抗がん剤治療を受けるなど体調を崩し、12月3日の選手会総会で事務局長の職を辞する予定だった。「余命宣告はされている。すがれるモノには何にでもすがろうと思う」と笑顔で生への執着を話していたが、帰らぬ人となった。

 松原氏は81年、管理部職員としてロッテオリオンズに入社。83年からは山本一義監督、稲尾和久監督の下で1軍マネジャーを務めた。88年12月に、落合博満内野手(現中日GM)の薦めでプロ野球選手会の仕事に携わるようになった。

 00年の事務局長就任後は、04年の球界再編問題などに東奔西走した。持ち前のバイタリティーあふれる行動力は闘病中も衰えず、抗がん剤で髪の毛の薄くなった頭にバンダナを巻きながら、関係各所や球場に足を運んでいた。「僕には夢がある。野球の“天皇杯”を作りたいんだ」と話し、プロ、アマの垣根を取り払ったトーナメント戦の実現を目指していた。「オールスターの代わりに開催するのはどうだろうか」とアマ球界の幹部にも呼び掛けるなど、新たな展開に目を輝かせていた。

 選手会は今年、創立30周年を迎え、11月には祝賀会を予定する。松原氏は7月末にマスコミとの懇親会を行った際には、その会への出席を「楽しみにしている」とあいさつしたが、かなわなかった。

<松原氏が関わった主な球界の問題>

 ◆球界再編問題(04年=古田敦也会長)オリックスと近鉄の合併構想が明らかに。球団数の維持を求めてプロ野球史上初のストライキを決行した。

 ◆開幕問題(11年=新井貴浩会長)東日本大震災の直後、予定通りのシーズン開幕を決めた球団に反対。4月12日に延期された。

 ◆WBC出場問題(12年=新井貴浩会長)利益配分が米国に偏る大会運営に疑問を投げかけ1度は不参加を決議。大リーグ側の譲歩を引き出した。