プレーバック日刊スポーツ! 過去の7月8日付紙面を振り返ります。1998年は6面(東京版)で日本新記録となるロッテの17連敗を報じています。

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<オリックス7-3ロッテ>◇1998年7月7日◇グリーンスタジアム神戸

 連敗中のチームを象徴する敗れ方だった。黒星トンネルの出口まで差し掛かった。が、抜け切れない。9回裏2死一塁から、先発の力投黒木がプリアムに同点2ランを浴びる。そして、勝ちは消えたが引き分け寸前の延長12回裏。無死満塁から、3番手近藤が代打広永にサヨナラ満塁弾を喫した。63年のプロ野球に新たな、しかし不名誉な歴史を刻む17連敗。

 黒木の目から涙があふれていた。球場設置のカメラが、帽子を目深にかぶり、必死になって表情を隠す黒木を無情に追った。詰めの1球に泣いた。2―1と追い込んでから浴びたプリアムの同点アーチは、内角低めの厳しい速球。決して失投ではなかった。近藤監督もその直前、「投げ急ぐな」と声をかけていた。「最後は三振を取りたいという投手心理が働いたのかな。力が入った分だけ、タイミングが合ってしまったのかもしれない」。松沼投手コーチが、悔しさと情けなさで言葉が出ない黒木を代弁した。

 「フィルムの無駄だよ。まぶしいからやめろ」。近藤監督も平常心ではなかった。試合後、その表情を撮ろうと前方を囲む大勢のカメラマンを手で払いのけようとした。その手がテレビクルーに偶然当たり、押し倒してしまった。

ダメージが大き過ぎる。先発黒木は飛ばしに飛ばした投球がたたって、試合後、右腕にケイレンを起こした。コーチに抱きかかえられ、帰りのバスに向かうほど、精根尽きていた。

 その力投に打線がこたえられない。15安打を放ちながらたった3点。4併殺では逆転負けも仕方ない。

試合前、石井球団本部長は、近藤監督の去就問題を封じ込むために、「シーズン中の途中解任はありえません」と、言っていた。この日こそ勝って、雑音を封じ込みたかったのだが……。気を取り直すように近藤監督は言った。「希望を持ってやるしかない」。が、通路に響くその声はうつろだった。

 ▼ロッテが6月13日オリックス戦から1分けを挟んで17連敗。1936年(昭11)大東京、70年ヤクルトの16連敗を抜くプロ野球新記録となった。70年ヤクルトが16連敗で迎えた8月26日中日戦のスコアは

中0000000010000=1

ヤ0001000000001=2

 ヤクルトも9回に追いつかれたが、延長13回裏に東条の適時打でサヨナラ勝ちして連敗を止めた。同じく9回に同点にされたロッテは、70年のヤクルトの再現はならなかった。