投げられなかった5年間。由規が、抱えた苦難とは-。11年3月11日に起きた東日本大震災では、身近な人を失った。同年に右肩痛を発症。13年には、右肩手術に踏み切った。大好きな野球を満足に出来ない日々。21歳から26歳までの道のり。11年から現在までのヤクルト担当記者3人が見た5年間に迫る。

 21歳の青年にとって、あまりに過酷すぎた。

◆東日本大震災

 11年3月11日。横浜(現DeNA)とのオープン戦で、横浜スタジアムにいた。仙台の実家と連絡が取れない。記者室にあった日刊スポーツの固定電話で実家につながった。交通機関はパニック状態。横浜スタジアムから8時間以上かけて、午前0時過ぎに埼玉・戸田寮に戻った。「怖くてあまり眠れなかった。テレビは付けっぱなしでした」。

 不幸は続く。

◆友人の死

 同年4月27日、対巨人(静岡)雨の中、2勝目。試合前、仙台育英でバッテリーを組んでいた1学年上の斎藤泉さん(享年22)の遺体が発見された。ともに甲子園に出場した先輩の死。試合後、由規はひと言も触れなかった。後日、この日のウイニングボールに「一生最高バッテリー」と書き込み、石巻市の実家に持って行った。

 どれだけ背負えばいいのだろうか。

◆オールスター

 同年7月24日。「マツダオールスター2011」にファン投票1位で選出された。「巡り合わせ、縁を感じる」。地元・仙台のコボスタ宮城で先発が決まった。だが、コンディションは万全ではなかった。左脇腹痛で、6月9日オリックス戦以来、1軍登板から遠ざかっていた。実は既に右肩の違和感を抱えていた。

 心の傷は癒えない。そんな中、同年9月に自身の右肩が悲鳴を上げた。12年は、3月11日のオープン戦に登板するなど復活を目指したが、1軍登板なし。

◆手術

 13年4月、手術に踏み切った。術後に、自身の手術の映像を見た。関節唇と腱板(けんばん)のクリーニング手術。「綿、毛羽立ちみたいなものが、摩耗していた。その部分をきれいにする手術。何で綿みたいなものが、痛みを出すのかなって」。戸田球場で練習するヤクルト陸上部の姿でさえ、まぶしかった。「全力を出せるってすごいことなんですよね」。食事の席では、お酒を控えた。「仕事もしていないのに、気が引ける」と思っていた。

 見えないゴールを目指し続けた。

◆リハビリ

 「キャッチボールが出来るようになって、ピッチングが出来るようになって、試合に出られるようになって。野球をやめたいと思ったことはない」。15年2月。3年ぶりに1軍春季キャンプに参加した。「焦らずにじっくりと」信じていた。同年11月。「忘れることは出来ない」育成契約。背番号「121」を見つめ、「クビも覚悟した」。

 腐ることはなかった。

◆復帰

 16年7月9日の中日戦(神宮)。1軍の舞台に戻ってきた。震災から5年の時がたった。「3月11日」は、今も特別な日。「毎月、11日になると、あれから何カ月なんだな。何回も刻んでいた感でした」。背番号「11」にも不思議な縁を感じている。誰もが経験できないことを乗り越えた。5年の月日は、たくましさを備えた。26歳の青年が復帰勝利を挙げた。

<由規の苦闘>

【11年】

 ▼9月3日 巨人戦(神宮)で7回2失点で7勝目。最後の1軍公式戦登板。

 ▼9月9日 右肩の張りで出場選手登録を抹消。

【12年】

 ▼2月27日 韓国KIAとの練習試合に登板。最速151キロで2回1安打3奪三振。

 ▼4月13日 富士重工との練習試合に先発、最速146キロで8回8安打3失点。手術前最後の実戦登板。

 ▼4月21日 右肩の違和感でイースタン・リーグ巨人戦(那覇)の先発を回避。

 ▼5月24日 都内病院での検査で左脛骨(けいこつ)粗面の剥離骨折で全治2カ月と診断される。

【13年】

 ▼4月11日 横浜市内で右肩関節唇、腱板(けんばん)の内視鏡クリーニング手術。

【14年】

 ▼6月5日 フリー打撃に登板し41球。打者への投球は783日ぶり。

 ▼6月14日 フューチャーズ戦に先発、最速155キロで1回無安打無失点。792日ぶりの実戦登板。

 ▼8月6日 イースタン・リーグ巨人戦に先発、5回3安打3失点で勝利投手に。この後、右肩の違和感を訴える。

 ▼11月16日 クラブチームの松山フェニックス戦に登板し、2回無安打無失点。最速は148キロ。

【15年】

 ▼2月22日 日本ハムとのオープン戦で3年半ぶりの1軍登板。2回1安打無失点で最速151キロ。

 ▼3月11日 東日本大震災から4年、オリックスとのオープン戦に登板。3回1安打無失点。最速150キロ。

 ▼11月12日 年俸800万円減の1500万円で育成選手として契約。背番号121。

【16年】

 ▼7月5日 背番号11で支配下登録に復帰。

 ▼7月9日 本拠地・神宮での中日戦に先発。1771日ぶりの1軍マウンドは5回0/3を10安打6失点で負け投手に。最速149キロ。