グッとくる。胸の奥がツーンとなる。笑わない、浮かれない、ガッツポーズもしない。普段通りクールな阪神鳥谷敬内野手(35)に心を揺さぶられた虎党は、決して少数派ではないだろう。

 「いいところに飛んでくれました。点が入って良かったです」

 6回。1点リードを奪い、なおも2死満塁。代打鳥谷はヘーゲンズの内角146キロ直球を力ずくで振り抜いた。ハーフライナーで一塁新井のジャンプを越す適時内野安打。泥臭い当たりがまた、この日に似合っていた。

 連続フルイニング出場が667試合でストップした。12年3月30日DeNA戦から続けていた記録が止まった。打撃は絶不調。遊撃守備では10失策。後半戦5連敗スタートで最下位に沈むチームへの劇薬として、首脳陣はついに「鳥谷スタメン落ち」を決断した。もちろん、本人はもう覚悟していたに違いない。

 「自分が最多になるなんてね。得点は試合に出続けたら付いてくるもの。この球団で長いことプレーすることがそれだけ難しい、ということかもしれないね」

 通算901得点で球団史上単独トップに躍り出たヤクルト戦後。長野の夜風に吹かれながら、しみじみと呟いた。35歳にして、次々と球団記録に関わっていく日々。超人気球団の主軸として、時にはメディアやファンからの批判にさらされながらグラウンドに立ち続けてきた。5シーズンぶりの先発落ちで心が折れるほど、ヤワじゃない。

 腰や肋骨(ろっこつ)を骨折しても、重傷を隠してゲームに出てきた。「代わりに出た選手が活躍したら、出番を奪われるかもしれないんだから」。試合に出たい。シンプルな思いが消えない限り、必ずはい上がれる。この日も通常のフリー打撃前に、室内練習場で1人打ち込む姿があった。

 代打から遊撃守備に入り、8回1死満塁では右肘への死球で8点目をもぎ取った。試合後は先発落ちの心情を問われて「普通です」と顔色ひとつ変えなかった。切ない1日は終わった。クールに当たり前のように居場所を奪い返してこそ、鳥谷らしい。【佐井陽介】

 ▼鳥谷の代打での出場は、11年5月26日ロッテ戦(甲子園)7回三ゴロ以来。代打安打は、同年5月22日西武戦(甲子園)6回左安以来。代打から守備は、04年9月1日中日戦(ナゴヤドーム)で三塁に入って以来、12年ぶりとなった。

 ▼鳥谷は2打点を挙げ、5月25日ヤクルト戦(神宮)2打点以来、今季6度目のマルチ打点。なお途中出場はプロ通算57試合目だが、マルチ打点を記録したのは初となった。

<鳥谷の出場記録アラカルト>

 ◆連続試合全イニング出場 667試合でストップ。12年の開幕戦、3月30日DeNA戦(京セラドーム大阪)から続けていた。プロ野球4位の記録で、3位衣笠祥雄(広島)の678試合に、あと11試合に迫っていた。遊撃手としては、プロ野球記録。

 ◆6シーズンの全イニング出場 06、08、12~15年シーズンは全イニング出場。金本知憲(広島-阪神)の10度に次いで、松井秀喜(巨人)と6度で並ぶプロ野球2位。

 ◆連続試合出場 1702試合連続出場は衣笠祥雄(広島)の2215試合、金本知憲の1766試合に次ぎ、史上3位を継続中。

 ◆手負いでも 右手人さし指を負傷していた11年5月17日には、交流戦オリックス戦(京セラドーム大阪)で3番指名打者でスタメン出場し、連続試合出場を917に伸ばした。試合前練習では故障箇所を医療用テープで固めて臨んでいたほどだった。15年は肋骨(ろっこつ)骨折や右脇腹負傷に苦しみながらのシーズン全イニング出場だった。