プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月20日付紙面を振り返ります。1996年の1面(東京版)は巨人との日本シリーズ第1戦でのイチローの決勝弾でした。

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<日本シリーズ:巨人3-4オリックス>◇第1戦◇19日◇東京ドーム

 やっぱりイチローが決めた。3-3で迎えた延長10回表、オリックス・イチロー外野手(22)が巨人河野から右翼スタンドへ決勝アーチを放った。それまでの4打席は巨人バッテリーに完全に抑え込まれていたが、5打席目に攻略。シリーズ前日の18日、「(巨人が)伝統、名前だけで球界に君臨し続けるのはどうかと思う」と長嶋巨人への「挑戦状」を突きつけていた。まさに有言実行のイチローの活躍でオリックスが初戦をものにした。

 「伝統と歴史」に衝撃を与える一撃だ。「巨人ブランド」をたたきつぶす打球だ。打倒ジャイアンツを目指す96年日本シリーズ。日本プロ野球に革命を起こす男・イチローの初安打は、だれにもマネのできない決勝アーチだった。

 「伝統、名前だけで球界に君臨し続けるのはどうかと思います」。前日18日、巨人中心に動く球界の現状に疑問を投げかけていた。延長10回2死走者なし。その答えをイチローはひと振りで出してみせた。

 1-3からの5球目だ。140キロ高めのボール球を鋭く上からたたきつけるように振り抜いた。バックスピンがかかった打球は、フワリと舞い上がり、右中間最深部に飛び込んだのだ。

 さすがに緊張はしていた。数々の大舞台を経験してきたイチローでも、平常心を失っていた。「あの場面、塁に出て、走ろうと思ってたんですよ。後ろが“ニール”だったし……」。このとき既に4番はニールではなく、途中出場の勝呂。イチローほど冷静な選手でも、気づいていなかった。そんなムードの試合だった。

 だが気持ちはマウンドに集中していた。巨人の4番手・河野を見据え、「この人なら知っている……」。昨年までの日本ハム時代、36打数13安打、2ホーマー、3割6分1厘と手の内を知りつくしている相手だった。それまでの斎藤雅、川口に比べれば「気持ちの面で違っていました」と振り返った。

 シリーズ前の練習中、長嶋監督がイチロー封じに左腕投手4人で「レフティーズ」を結成した。それを聞いて、イチローは言った。「野球で常識って言われてることにはいろいろおかしなことがあるけど、それもその一つ。左打者は左投手に弱いって、そんなこと関係ないですよ。打つ打たないっていうのは、そんなところに理由があるんじゃないんですよ」。今季対左投手は3割3分3厘。常識を打ち破る革命児の一端を、イチローは強烈に見せつけた。

 苦しい展開に違いはなかった。「あんまりいい投手なんで、あきれてた」という斎藤雅に2打席連続の二ゴロ、投ゴロに抑えられた。8回1死満塁で対戦した左腕・川口にも「知らない投手ですし、どうしても球を見過ぎてしまうんで」と遊ゴロに倒れた。ここまで4打数無安打。8回のニールのタイムリーで勝っていてもイチロー自身はスッキリしなかったはずだ。

 しかし運命はイチローに味方する。回るはずのないチャンスが回ってきた。9回、鈴木が代打・大森に、まさかの同点2ランを打たれた。チームの大ピンチは、イチローにとって汚名返上には願ってもないチャンスだった。そしてそれをモノにしてしまう。

 「いつもいい場面で回ってくる? だれかボクの知らない人が、そういう才能を与えてくれてるんでしょ」。イチローはそう言って笑った。この日、東京ドームの左翼側に新しいイチロー看板が登場。おぜん立てのできたところで、最高の働きができた。「強運」という一言では済まされない何かがある。

 試合終了後、バスに向かう通路で、イチローの前に突然、少年が駆け寄ってきた。巨人落合の一人息子・福嗣くん(9)だ。「一緒に写真とって」。そうねだる福嗣くんにイチローは笑顔でこたえた。そして、偶然、長嶋監督が乗り込んだセダンの前も通った。イチローはチョコンと頭を下げた。「巨人ブランド」をたたきつぶす男の、せめてもの礼儀だった。

※記録と表記は当時のもの