プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月21日付紙面を振り返ります。1998年の1面(東京版)は横浜・松坂投手の西武入り拒否の可能性を伝えています。

 ◇ ◇ ◇

 横浜高・松坂大輔投手(18)が西武入りを拒否し、3年後のドラフトを待つことを宣言した。ドラフト(新人選択)会議が20日、都内のホテルで開かれ、同投手は横浜、西武、日本ハムの3球団から1位指名を受け、抽選の結果、希望の横浜ではなく西武が交渉権を得た。しかし松坂は「3年間は長く感じない」と社会人野球入りすることを表明。日本石油入りし、3年後、2001年のドラフトでは幼いころからのあこがれである巨人を逆指名する可能性が高い。

 午前10時58分。西武東尾監督が交渉権を引き当てた瞬間、テレビモニターを見つめていた松坂は何ともいえない複雑な笑みを浮かべた。記者会見場となった横浜高体育館の外で生徒が発した「マジ~」という声が中まで響く。「(クジが)外れたなという感じ。甘くなかったですね」。西武の交渉権獲得に、18歳の怪物は苦笑いを浮かべるしか方法がなかった。

 前夜(19日)は、横浜市内の渡辺元智監督(54)の自宅に泊まった。「ぐっすり眠れました」と運命の朝を迎えた松坂。しかし、その運命は過酷だった。西武が交渉権を獲得し、社会人野球に進むという決意は固まった。「若い投手陣が育っている。(東尾監督は)投手出身の監督なのでいいですね」と西武の印象を話したが、「気持ちが揺らぐことはないです」と「西武拒否」の姿勢を表した。

 会見終了後、3時限目の音楽の授業中に教室に戻った松坂は、チームメートに「3年後に逆指名する」と宣言したという。しかし、それが横浜とは限らない。本来が大の巨人ファン。今年は巨人が大体大・上原と近大・二岡獲得を決めたために巨人をやむを得ずあきらめたという思いがある。前日の会見では「(3年後は)そのときになってみないと分からない」と正直に話した。先日、「ドラフトは自分の運を試すいい機会」と言った。

 若手投手育成に実績のある地元の横浜に行きたかったのは真実だ。しかし、クジに外れた以上、西武には行かず3年後に巨人逆指名を目指すのも、また運命だろう。

 シドニー五輪という明確な目標も口にした。3年前に近鉄入りを拒否し今ドラフトで中日を逆指名した日本生命・福留を例に挙げて「3年間は長いのではないか」と言われると「オリンピックがあるので長く感じないと思う」と反論した。ドラフトを自宅のテレビで見ていた父諭さん(45)も「もう方針は決めてあります。西武に行くことはないと思う」と話した。

 社会人チームは、日本石油、東芝、神戸製鋼、ミキハウスに加え、この日、新たに日産自動車が松坂どりに「参戦」を表明した。横浜高OBも在籍する日本石油が最有力。日本石油入りしシドニー五輪を経て2001年のドラフトであこがれの巨人入りという夢が松坂の頭の中を駆け巡り始めた。

 ◆横浜高・渡辺監督

 ドラフト制度がある以上、話を聞くのが筋なのですが、松坂本人の気持ちが変わらないので、われわれも尊重してあげたい。社会人へ進んで、給料をもらってからプロを目指すことも一つの方法。まだ18歳の子供です。どんな決断に達したとしても悔いの残らないようにアドバイスしてあげたいと思う。

 ◆権藤さん「仕方ない」

 期待の一番星を直前で奪われた。権藤監督が封筒の中の紙を開く直前に、右隣の東尾監督の腕が上がった。「絶対に当てる。それしか考えていなかった。残念です」。シーズン中は常に冷静さを失わなかった表情はこわばっていた。インタビューの最後に「今すぐプロに行ってほしいか、3年後に逆指名してほしいか」と問われると、権藤監督は「今はそんなことを言える心境じゃない!」。それでも「終わったことは仕方ない」と、指名が終わると外れ1位で指名した豊田大谷・古木のもとへあいさつに向かった。

 ◆巨人長嶋監督

 (抽選について)わがことわがチームのことのようにヒヤヒヤしながら見ていました。あれだけの投手ですから気になります。彼の胸中は、心境がどうなっているか、知るよしもありませんが、野球ファンもどういう決断をするか注目しているでしょう。

 ▼今後は?

 野球協約により西武が松坂と交渉できる期間は来年3月31日まで。それまでに契約できなかった場合は交渉権を失う。一方の松坂は社会人野球入りした場合、高卒選手のため3年間はプロ入りできない。今度ドラフト指名を受けるのは2001年となる。その時は逆指名が可能となる。1995年(平7)のドラフトで7球団競合の末、近鉄に交渉権が確定したPL学園・福留はプロ入りを拒否。日本生命入りし3年後の今年、逆指名で中日入りする。

※記録と表記は当時のもの